ピンチ!日本企業。10年前のライブドアから学ぶ、今の我々に足りない働き方とは(最終回)
「今までどおりにやる」ことに対して反抗していた10年前の俺
2005年の夏頃、日経新聞の全国版1面に実名(小林 佳徳)で出た。
知人の旦那様が日経の社員だったということで、当時、インタビューを快諾。
ただ、マスコミは時に、「あることないこと」どころか「ないことないこと」書かれても文句も言えず、世間に出てしまえば取り返しはつかないことも多いというが、そのリスクも覚悟の上の実名でのアピールを、あくまで企業(ライブドア)のためではなく、自分がやりたいから、受けてみた。
記事中では「寝袋で会社に泊まる日もあるが、自分が企画した事業をやり遂げる充実感は格別という」とあり、これは当時の心境としては、嘘偽りはなかった。
思えばこの頃から、”みんな、もっと、一人一人が思うように働いて欲しい!”、と思いからのアクションだったのかもしれない(今となっては出来過ぎているが、コーナータイトルは「働くということ」)
そして、先日、STORYS.JPから出た2冊めの書籍でも書かれているが、働く上で最も大切なこととして「充実感」をインタビューの中で挙げていることに、今でも違和感はない。
遠い大昔。きっと「生きる」=「働く」だった時代
人が、動く、と書いて「働く」。
毎日毎日をただ生き抜くために、狩りをして、暖をとって、危険から逃れて、明日を待ちわびる。
そのために人は動いていた。そして、それが働くということだったのだと思う。
そしていつしか、人の動き方はどんどん複雑になり役割が細分化され、どんどん便利な時代になったことで、ただ生きるために働く必要はなくなってしまい、それゆえに
なんのために働くのか?
という疑問が生まれてしまった。
だから、「働かざるもの食うべからず」、という諺は、今の時代にはもはやそぐわないのかもしれないが、だがしかし、やはり「生きる=働く」という側面があるかぎり、働かずに生きていることができたとしても、それは”生きている、というよりは、生かされている”、ということではないだろうか。
だから、今、なんのために働くのか見つけられない人は、今一度、「なんのために生きるのか」、という誰しも一生に一度は持つ疑問と向きあってみて欲しい。
生き方の数だけ、働き方があるはず
ホリエモンの「ゼロ」の中でも、働くことは生きる上で非常に大切なこととして、と触れられている。
全てのサラリーマンは、サラリーを得るためだけに働いているのではなく、「自分は、こういう風に生きたいんだ」ということを表現する機会が、便宜上「働く」と呼ばれているということだ。
つまり、生き方の数だけ、働き方がある。
そんな風に『働く』ということに対する見方を変えることができれば、明日からの会社でのいつもと同じように見える仕事も、きっと輝いて見えてくるのではないか。そんな風に思う。
おしまい。
【お知らせ】このストーリーに大幅に加筆修正した書籍が、2014年8月20日、STORYS.JP書籍化第3弾として宝島社から発売されました!
著者の小林 佳徳さんに人生相談を申込む
著者の小林 佳徳さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます