華僑大富豪の懐に入ることができた最初のキッカケは「素直さ」を持っていたことだった

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前編: 憧れの南国アーリーリタイアしてみたら暴飲暴食で激太りしただけだった件(笑)



実は、今まで周りにヒタ隠しにして来たことがある。僕は周りの誰にも言って来なかったが、とある「秘術」を使って、現役サラリーマンとしての業務。さらには、アフター5のビジネスの世界で活動して来た。


だから僕は、現役サラリーマンとしても普通の日本人では成し得なかったレベルで華僑に入り込み、華僑の本場のフィールドの中で大きな結果を叩き出すことができたし。


アフター5(ファイブ)の1日2時間程度の活動の中でも、香港とか中国本土とか、日本居住者たちから見れば人里離れた辺鄙な場所に住んでいたにも関わらず、巷の経営者たちに勝るとも劣らない結果を叩き出すことができたのだ。


僕これまで水面下でコッソリ使ってきた「秘術」とは、一体どんな「秘術」なのだろうか?


恐らく、僕と共に歩んで来た方々程疑問に思うはずだ。。。「なんでこんな普通の感じのやつが、こんなことができるのだろうか?」


大抵、僕にはじめて会った人たちは、僕のあまりにも平々凡々な普通っぷりに、「こいつはできないやつだ・・・」と先入観で決めつけてくる。


けれども、つき合っていく内に、平凡なはずの僕が、普通ではない結果を叩き出せてしまうことに、疑問を持ち始める。。。僕自身、これまで何度も体感してきたパターンである(笑)。


・なぜ、一介のサラリーマンに過ぎなかった僕が、毎日2時間ほどの副業としての活動だけで、億単位のお金を稼げるのか?


・なぜ、サラリーマンの父、地方公務員教員職の母という、平凡な家庭で生まれ育った僕が、次から次へと、本物の情報をもたらしてくれる、大富豪たちや神がかった秘伝を秘め持つ人たちを、引き寄せられるのか?


・なぜ、独立起業後も、一流のパートナーたちに囲まれて、彼らからの助けを得ることで、多くの人たちを魅了するビジネスを構築し遂行できるのか?


・なぜ、海外の僻地とも言われる辺鄙な場所に住んでいるにも関わらず、誰よりも先回りする形で、大きな人の流れが生まれる場所を読み、そこに待ち構える形で、先にビジネスを構築すできるのか?


・なぜ、大きな失敗をしながらも、致命的なレベルには至らず、失敗から得た経験を、自分の力に取り込み、新たな産みの原動力に転換できるのか?


たとえば僕が、香港大富豪や中国大富豪、100億円不動産王、物販大富豪など、数々の大富豪と巡り合い直接訓えを受けたり、グランドマスターや、黒田先生や、ドクターサイなど各道での異常な能力を持つ方々と巡りあい直接訓えを受けたり、サラリーマンでありながら@SOHOを一人で構築した鬼才平城寿さんと盟友としてパートナーシップを組んだり。これらの、事実だけでも、冷静に考えただけでも、引き寄せ具合が普通ではないと理解頂けるはずだ。


特別な家庭に生まれ育ったわけでもなく、威圧感も凄みも無い、一見どこでもいる、どちらかと言うと影の薄い普通の人間にしか見えない僕が、よいしょよいしょでは、特別な力を発揮して結果を叩き出せるのはなぜか?


種(タネ)の無い手品が無いように・・・当然ながらこれらの結果を出せた背景には、カラクリのようなものが存在する。


・・・僕は「華僑大富豪」たちから「秘術」を学び、それを活用して来たのだ。


そして、その「秘術」は・・・実は「華僑」と呼ばれる人たちから直接教わって来たのだ。2003年~2010年までの間「華僑」の中でも特に、大富豪として暗躍している方々から直接。


「郷に入れば郷に従え」。僕はこの「華僑の大富豪」たちから教わった「秘術」を、そのまま使ってみることで、本業の中ではさらに深く「華僑」の中に入り込み、アフター5の活動の中でも、通常なら決して出会うことのない方々を引き寄せたり、大きな結果を叩きだしたり、前進するための力とすることができたわけである。


・「華僑」に入り込んだ
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」から教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」とのやりとりで活かした
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」の懐にもっと入り込めるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」からさらに深く教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」とのやりとりで活かした
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」の懐にもっと入り込めるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
・「華僑」からさらに深く教わるようになった
 ↓   ↓   ↓ 
<<以降繰り返し>>

簡単に図式化すると、こういう具合である。


これまで「秘術」に特化する形で語って来なかったのは、それぞれの出元が違っていたこともあり、全ての「秘術」がバラバラになっていて、体系化されていなかったからだ。


ところが、ここに来て、2003年~2010年の「華僑」の懐での活動の中で、「華僑大富豪」たちからバラバラに教わったことが、ようやく体系化できた。


2013年にとある物理法則を理解して以来、それまで点と点になっていた全ての「秘術」をつなぐことができ、システムとして体系化することができたのだ。


まあ、それも、もっと早くやろうと思えばできたのだけど、ご存知のように、現役サラリーマンを引退してからは、豪遊と暴飲暴食がたたり、100キロ超の贅肉デブに。。やる気も継続力も皆無の状態、ほぼ惰性で生きていたので、あえて新しいことを立ち上げようとは思っていなかったのだ。


でも、今は違う。「双龍門」第76代掌門(継承者)グランドマスター黄龍英先生の治療によって、ボロボロになっていた肝臓を治療。食事、生活習慣、ジョジョの奇妙な冒険に出てくるような特殊な呼吸法のお陰で、100キロ超あった体重は74キロになり、体重が減るのと同時に、全ての症状が良くなった。


そんな中で、万全の体調であると実感すると共に、やる気が最高潮になり。僕が本当にやりたいことは何なのか?それが明確に頭の中に浮かぶようになった。


その一つが、僕が2003年~2010年の香港・マカオ・台湾・中国本土・・・などの華僑圏の活動のなかで習得した「華僑大富豪」たちが密かに活用「秘術」を体系化し、僕の仲間たちに伝授することだ。


やる気や継続力、集中力の元となる、肝臓と腎臓が強くなって来たので、僕がこれまで「華僑大富豪」たちから学んで来た「秘術」を、ようやくシステムとして体系化することができるようになった。


僕がこれから明かしていく「秘術」が、僕からメッセージを受け取る周りの仲間達にとってどういう反応になるのか分からないけれども。勇気を振り絞って「秘術」を公開する決意を固めることにした。


「秘術」の中に、日本人が「倭僑」として「華僑」たちと対等にやりあえるようになれるヒントが隠されていると思うから。


ビジネスにしろ、投資にしろ、仮にこれを知らない状態で、世界というフィールドで戦おうとすれば、ONE PIECE(ワンピース)で言えば、普通の人たちが「覇気使い」に正面から立ち向かおうとするようなもの。


HUNTERXHUNTERで言えば、普通の人たちが「念」を使いこなす人たちに正面から立ち向かおうとするようなもの。


ありえない位、不利な戦いを強いられることになる。だから、僕と同年代の日本人が「倭僑」として立上り、本当の意味で世界で活躍できるようになるためには絶対に必要だと考え、意を決して公開する決意を固めたのだ。


僕の知る「秘術」の正体を知ってもらうために、まずは僕が「秘術」を本格的に体得することになった、その経緯をお話して行きたいと思う。


最初は、そもそもどうやって僕は、日本で生まれ育った日本人でありながら、「華僑」たちの懐に入り込むことができたのか?


この部分からお話していこうと思う。



▼華僑大富豪たちに受け入れられた最初のキッカケ


僕は2003年に生まれて初めてアジアの地を踏んだ。当時勤務していた玩具メーカーの営業&マーケティング担当として、会社からの辞令を受けて、香港支社に赴任することになったのがキッカケだった。


香港赴任後初の任務。


香港にあるトイザらス、ジャスコ(現・イオン)、ユニー(現・アピタ)などの、代表的な売場を見に行った時のこと。売場を歩いていて違和感を感じた。


それは・・・僕が勤務していた製造メーカーの商品が、米国デザインの商品パッケージで、棚に陳列されていたからだ。


商品のパッケージの上部を確認したところ、埃がかぶり、現地のお客様に購入いただいている様子は無かった。



▼香港人と日本人の感性は違うのですか?


香港の販売代理店オーナーとの商談の時、売場で撮影した写真を撮影、プリントアウトしていた資料を差し出して、素直に聴いてみたのだ。

日本で販売されている商品の、売場での陳列例の写真を差し出しながらたずねた。

孔明
「香港の売場を始めて見て驚きました!香港人と日本人、僕たちは一見これほどまでに、似ている人種なのに、香港の方々は、日本人と全く文化が違うのですね!日本ではこの手の米国風デザインの商品パッケージは全くうけないのですが・・・。(英語)」
香港代理店オーナー
「香港人だって日本人と同じだよ。本来はコッチの日本版パッケージの方が好きに決まっているじゃないか!米国版のパッケージは私もナンセンスだと思っていたよ。(英語)」
孔明
「え?香港の方々も同じように思うのですか?それなら、なぜ今まで日本版の商品パッケージにしなかったのですか?(英語)」
香港代理店オーナー
「え?そんなことできるの?今まで子供向けの商品は米国版のパッケージしか海外では提供できないと、過去の担当者たちから聴いていたから・・・。(英語)」
孔明
「当然可能ですよ。ただし、その分、アジアだけで工場への最小発注数量だけは、必ずクリアする必要はありますけどね(笑)(英語)」


当時、ようやく英語を使って一人で商談できるようになったばかりの頃だったのだが(TOEIC265点だった)、片言の英語を駆使しながらも、それまで米国版パッケージで展開されていた商品を、日本風商品パッケージにして、販売することが決定した。


「日本風」というのは、商品パッケージの背面や、商品情報など、大部分は英語なのだけれども、表から見たテイストが「日本版パッケージ」っぽい。。。という、日本版商品パッケージと、英語版パッケージを融合させたような形。それまで無かったアジアオリジナルの商品パッケージだった。


ただし、これを実現化させるためには、最小発注数量をクリアしないければならないので、香港以外のアジア各国の販売代理店にも協力頂き、今までよりも多くの注文を頂戴することになったのだが。。



▼日本風パッケージの商品が飛ぶように売れた


そして・・・商品と連動したテレビ番組の放映と共に、日本風パッケージの商品を、実際に売場に並べて販売開始してみたところ・・・。凄いことが起こってしまった。


商品の選定も良かったのだと思う。まだクリスマス商戦にもなっていない、平月の週末なのに、各売場では、次から次へと日本版パッケージの商品を香港現地のお客様が手に取り買って頂けた。


香港だけではないらしい・・・なんと、香港から逆に並行輸入という形で、面白いパッケージの商品として、日本にも流れて行ってしまったらしい。。。


香港代理店の営業ダイレクターからも、僕の携帯電話に直接連絡があり。週明けに追加生産をかけるための緊急ミーティングを開催することになった。


僕が香港に赴任して最初にやったこと。それまで「海外で」「英語だから」という理由だけで、米国向けに作られた商品と、全く同じパッケージの商品ラインになっていたところを、日本風商品パッケージに変更したことだけ。


これを、可能な限り全ての新商品に対して、徹底的に行っただけなのだ。


実際にやったことはそれだけ。商品の中身自体は変わらず、商品パッケージの変更だけで、商品は売場という売場で、飛ぶように売れた。


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