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Miyoshi Hirofumi

長い私のひとり旅がとりあえず終わったので旅の文章をここでは書きます。

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Miyoshi Hirofumiの人生のストーリー

storys.jpを私も始めようと思ったわけ まえおき

3つの理由 このstorys.jpさんのサービスを利用したいと思ったのは、おおきく3つの理由がある。 1つ目と2つ目はそれほど、長い文章にはならないので、前置き的にまずそこから書いてみようと思う。準備運動的なもの。 では1つ目 1つは、「自分語り」という検索キーワードでグーグルをサーフィンしていたら、たまたまこちらのサイトに行きついたというのが、私にとっては最終的なこれを始めた理由である。 自分語り

storys.jpを私も始めようと思ったわけ はじめに

3つ目 2013年6月,終わらないと思っていた旅が終わった。 たぶん,旅の始まりは,大学合格してすぐの20歳くらいから。でも,元々をたどれば,もっと前の小学6年生頃からかもしれない,そうしたら20年以上の長い旅だ。 よくもまあ,20年も続けてきたものだと思う。しかし,私には結局これしかなかった。もちろん,人並みの体裁を整えたり,それなりにモテたいと思ったり,ぼんやりと今夜の献立を考えたり、普通のこ

大学3年生の男が、小学4年生の男の子から教わったこと

3月。 凍てつくように寒い。  感覚がなくなっている。  時刻は深夜の12時。  雨がしんしんと降って、月が遮られたせいで地面は全く見えない。  僕は、キャンプ場にいた。真っ暗のけものみちをひたすら歩いている。  荷物を抱えて。子どもたちと一緒に。  僕は、そのキャンプのボランティアリーダーだった。参加者の子供は15人ほど。それを何人かのリーダーが、サポートする。僕らは、雨がふってきたので、荷物を傘

私を助けたもの 音楽

音楽について 音楽は,最初に私を助けてくれたものだった。 私は洋楽よりも邦楽が好きで、メロディよりも歌詞を意識する方。 戦後から最新の(といっても、もうこの5年はさすがに最新曲はほとんど知らない。)邦楽はジャンル問わず好き。演歌に歌謡曲、ニューミュージック、Jポップ、たぶんそこそこの有名な人のシングルなら、大体歌うことはできる。祖母のレコードとNHKの歌謡ショー、ラジオから流れてくる曲を片っ端から

私を助けたもの 予備校生活

高校生の頃,思いかけず,大学試験に落ちた。 今思えば,無謀だったのだが,私は自分の学力の6割くらいで合格できるところでもいいという気持ちで,ここなら必ず合格するという志望校を決めて,併願は一切しなかった。絶対間違いないと思った受験だった。信じられない,名前でも書き忘れたのではないかと思った。 予備校を決めるため行った,3月の誰もいない冷えた高校の廊下をよく覚えている。 今思えば恥ずかしい話だが,18

私を助けたもの ワークショップ1 最初の師匠

師匠と出会う 私はとにかく探していました。 そして、ワークショップと呼ばれた場所で、私の最初の師匠と出会いました。 私がそこで最初にやったのは、「サークルボール」という参加者同士でボールを投げ、受け取るということを繰り替えすシンプルなワークです。 私はたまたま、師匠の前に座っていたので、指名されて練習役をしたのでした。 師匠 「よし、じゃあ、そこの黒い服の男性、立ってくれる」 わたし 「‥は、はい!

私を助けたもの 大学一年生

大学には合格した 大学合格で私の道は一度到達点を見た。 本当は大学に入ってからが本番なのだが、正直、私には一端の結末だったと思う。 そして、次のより深い闇が待っていた。 大学生になって、比較的落ち着いた生活になり、ほっと息をついたとき、私はたぶんこう思ったと思う。 浪人生なんてもうこりごりだ。もう2度とあんなおもいはしたくない。理不尽で残酷で、先がどうなるかなんて最後までわからなかった。 もっと安定

一人暮らしの方へ賃貸物件探しのポイント

私は転勤族です。これまで学生のときも含めて7回住宅を替えています。全てワンルームです。今回5年ぶりに賃貸物件探しをしてみて,やっとポイントなりが飲み込めてきたかなと思います。 自分の備忘録用と,これから賃貸などを選ばれる方向けに役に立つのでは思って,書いています。 私は,条件に合った上で,多少妥協してもなるべく安く借りたい方ですので,合わない方もいるかもしれません。今回私が巡った不動産屋は8件,見学

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~

私の根本課題は,もともとは「不安」にありました。 それはもう小学生の頃からあった課題です。生きていること自体がなぜか苦しい。そして,それが年をとるほど大きくなっていく気がしました。 それは,今思えば,「何が起こるかわからない」という恐怖にありました。どんなに用心していようと,準備していようと,何か大変なことがあるかもしれない。それが私をずっと緊張させました。 私は小さい頃から,勉強を熱心にする人間で

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~2

変わったつもりが自分は何も変わっていなかった。でも,どうするべきか何もわからない。 実家の平屋根にブルーシートを引いて,よく空を眺めていました。誰に相談しようにも,自分が何に悩んでいるのかすらわかりません。どうしてこんなに生きにくいのだろう。 このとき私が次の進路として考えていたのは,これまで自分が好きなことややりたいだと思っていたことではありませんでした。イメージでいえば,強くてはっきりしたもので

人を捉えるもの

大学4年の秋の頃です。  私は、その時教育関連のイベントに参加していました。 就職活動が終わって一段落していたので、少しお金を使って、自分のやりたいことに参加してみたいと思っていた時期のことです。 イベントは自然の囲まれた施設で2泊3日の日程が組まれており、120名ほどの参加者が集まった大きな規模のものでした。 講師の方も5人ほどいて、立ち替わりで講座を開いてくれるのです。 二日目の午後だったでしょ

小学生のA君から教わったつながりの話

私がキャンプリーダーだったグループに、A君がいた。 その子は小学校の中学年あたり。 ADHDの症状があるといわれていた。 私がA君と一緒になると知ったとき、正直不安だった。 他の子どもたちとうまくやっていけるかな。 私はうまくやれるかな。 グループのメンバーが最初に出会ったとき、不安が的中した。 A君は、静かにしなければいけないときも、大声で話しかけ、じっとしていられない様子だった。 上級生の子が正

始まりの海岸で

駅は海のすぐ傍にあった。 ホームを降りると、すぐに砂浜が広がる。 夏と言っても、まだ海開きまでには日があり、辺りには海の家を建てている工事の人や、麦わら帽子に蛍光色のレインコートをはおった、ゴミを拾っている人が数人しかいなかった。 それは、彼女がイメージした海ではなかった。 水平線がくっきり見えるようなイメージだったのだが、そこは海水浴場らしく、幾重にも防波堤が伸びていた。競争の目印のように、間隔を

祈りは感謝

大学浪人のころ、私は一人で小さな町に住んでいた。 予備校に付属した寮で生活していた。 テレビもダメ、音楽もダメ、門限は九時。 窓の一つしかない4畳の部屋は、見学したとき監獄に思えた。 予備校生活はそれなりに楽しかったが、 一年後の不安は消えなかった。 高校の友達は大学なり専門学校なりで、もう自分より先の言葉を話していた。 寮があった町には、駅の近くに商店街があって、 その中心に神社があった。 神社を

失敗できるところ

季節は初夏。 まだ涼しいキャンプ場。 私はキャンプリーダーで、他のリーダーや子どもたちと共に、ワークに取り組んでいた。 ワークは、枝にぶら下がったロープを使って、ブロック塀を敷き詰めてできた島に飛び移るというもの。 全員が飛び移れたら成功なのだが、飛び移る内に島のスペースは段々小さくなり、誰かが失敗するともう一度最初からやり直さなければならない。失敗は2回まで。 チームワークや協調性、いろんなものが

道路に座って見えた世界

ジョギングの途中で、ふと道路の真ん中に座ってみた。 深夜の川を渡る道には、車もほとんど通らない。 信号の反復をぼんやり見つめていると、 心地よさと懐かしさが浮かんでくる。 昔、もっと大きい町に住んでいた頃。 ふと思い立って、コンビニの脇に座ってみた。 コンビニの脇で地べたに座って、 はしゃいでいる学生を世間が白い目で見始めていた頃。 その頃は、今よりも教育に関心があったから、 論より証拠で、私も座っ

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~3

続けながら少しずつわかってきたことがありました。 まず,今の私の問題は,何らかの技術(テクニック)では通用しないと言うこと。一つのテクニックはある想定された状態であれば有効ですが,ほかの場合では役に立ちません。必ず例外が生まれます。 私には,技術ではなく実感(気づき)が必要だと思っていました。 そして,これまでのやり方とは,何か根本的に違うあり方が必要でした。 その後,私はある先生と出会うわけですが

求められるから正しい

人がそれを求めているから、我々はそれを提供する。 それはビジネスの基本的論理だ。 そこにニーズがある。需要がある。 だからそこにサービスを提供する。 人々は満足する。 それのどこが悪い?? ある遊園地のジェットコースターの職員が言っていた。 「客が待っている。コースターは動かさないといけない。 悪気はなかった。」 コースターは途中で宙ぶらりんになって、人が死んだ。 客はそのコースターに乗ることを望ん

銀杏の落ち葉はいらない

会社の前に、銀杏の木がある。 通りに沿って、等間隔に並べられている。 このごろは寒くなって、黄色く色づいていた葉も散っていくようになった。 毎日歩道には、銀杏の葉が敷き詰められる。 毎日、竹箒でその銀杏の葉を集めている人がいる。 作業着を着て、黙々と仕事をこなしている。 僕はその人と毎日すれ違う。 そのとき、ふと思う。 どうして銀杏の葉なんて集めてるんだろう。 仕事だから。 銀杏の葉がずっと歩道に落

食べられないことについて

小学生のころだ。 たしか私が班長をしていた班に N君という子がいた。 取り立てて、目立つことのない おとなしい男の子だった。 その子は、ご飯を食べるのが遅かった。 それに嫌いな食べものが多かった。 それで、給食の時間が終わっても、 まだ食べ終わっていないことが多かった。 時間が来れば、食器や残飯は片づけられた。 昼休みの時間が始まる。 みんなが外に出て行く中で、N君は 一人まだ給食を食べていた。 食

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~4

まず,私の不安が何だったのかを詳しく書きたいと思います。 私の不安はまず過去の小さな頃の記憶から始まっています。 昔理不尽なことをされたり,想定していたことと違うことが起こったり,助けを求めても誰にも助けられなかったりしたことです。具体的なことはその多くは忘れていたりします。それに,大人の自分から客観的にみれば,そのときはどうしようもなかったり,相手のことをわかってなかったりしたものもあるでしょう。

果てしないごっこ遊び

子どもはよくズルしたり、悪さしたりしますよねえ。 物を取ったり、悪口言ったりします。 よく大人はそういう行為に関して、叱りますよねえ。 「こういうことしたら、駄目でしょ。相手が可哀想でしょ。」って。 叱ることが間違っているのではないんですが、 子どもはズルするというのは、大人が悪いことするような意識と違うような気がするんです。 「ズルをする」っていうのは、ズルすることで「自分だけ得したい」と考えるの

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~5

これが,私が見つけた不安の正体です。恐ろしいことだと思います。 私は,かなり危ないところまで,思考を暴走させ,自分を追い詰めていました。このことに最初に気づいたときは,思考は悪魔の化身のように思えました。私を惑わすひどい存在のように思えました。 しかし,そこからよくよく見てみると, 思考自体はただのお節介ないい奴なのです 。どちらかというと,悪かったのは思考に頼りすぎていた自分だったということがわか

トラフィック・ロシアンルーレット

日本人の死亡理由。1位から3位は、いわゆる3大成人病。ガン、脳卒中、心臓病。そして4位は・・ それは、交通事故死です。 人の生命が尊重される現代において、日本人の亡くなる理由の4位は、人災です。 しかし、当然のことですが、車社会反対運動は起きません。中には、やっておられる方もいるかもしれませんが、盛り上がりません。 交通の利便性を捨てることが出来ないからです。 交通の利便性が捨てられないのは、交通シ

子どもにナメられることについて

「子供にナメられちゃ終わりよ」 久しぶりにその言葉を聞く。 「子供はほっといたら図に乗るから、体罰はいけないけど口は厳しくしてないと」 そういってその母親は、チンピラ顔負けの口調で、子供を叱っていた。 おどれ、何しとんじゃ、ワレといった感じで、口だけで充分体罰に値するほどじゃなかろうかと思った。 私に対しての穏やかな口調と、あまりに違っていて、少し苦笑した。 学生の頃、小学校や中学校の教師から、この

死んだ人のために生きる人たち

最近、戦争の特集番組を、NHKの深夜にやっている。 今年は終戦から60年だが、それほど戦争の話はなかった気がする。 先日は、沖縄戦の特集だった。 本土決戦までの時間稼ぎとして、地元の人を総動員させての総決戦となった沖縄。 アメリカに投降せず、洞窟で自決した多くの命。 ある女性が出演していた。 彼女の父親は、アメリカに投降していた折、残存した日本兵からあらぬスパイ容疑をかけられ、惨殺される。短刀を何本

不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~6

いろんな試行錯誤をした末に,私がやってみたことは,「 どうにかするのを止めてみる 」ことでした。白旗と両手を上げて,降参するような感じ。 これは私なりに言い方を変えると「 まるでゴミ箱に紙くずを放り投げるように,不安を扱う 」ともいえます。これは変な言い方ですが,すべて同じやり方を指しています。 この方法は,最初とても大変でした。 自分が不安に思っているものほど,自分が大切にしているものですから,そ

名前のない喫茶店~まえおき~前

※これは、私が最近感じていることを、少し物語風に書いてみたものです。書くのに時間がかかり、とても続かないかもしれませんし、小説の才など元よりありません。ただ、この方がより伝わるかもしれないと思ってやってみた次第です。楽しんでいただけたら、幸いです。 初めて訪れた商店街は、小さな丘を中心にアーケードになっていた。 アーケードの隙間から覗く日差しは柔らかかった。東川はもう長いこと太陽を見た気がしなかった

お前の努力をしたらええねん

あのな、努力しよったら、物事は叶ういうて、あの偉い人がいいよったやろ。 あれはな、みんなウソや。 もうウソもウソ。 デタラメもいいとこや。 偉い人があんなこというのはな、その方が聞こえがええからや。 偉い人っていうのは、人の評判で生きとるようなもんや。 偉い人ほど、多くの人から評判をもらってないとあかんのや。 だから、偉い人はな、一番都合のええ言葉ばかり使うようになるんやで。 一番耳障りがようて、人

正しいか間違ってるかだけでええの?

・・それで、何で泣かしたん? ・・・そうか、追いかけっこしている間に踏みつけてもうたんやね。 それなら、謝ったらええんちゃうん。 謝らへんの、何で? 恨みがあるんやったら、かかってきたらええやないか、ってか。 そうか。 それで勝ったらええんやないかっていうことやな。 でもさ、オマエも強いヤツに泣かされたこと、あるんちゃうんえ? やから、今泣いてるヤツの気持ちもわかるやろ。 え、アイツとオレは違うって

名前のない喫茶店~まえおき~後

迷っている間もなく、勢いよく入り口のドアが開いて、誰かが入ってきた。 「中さん、ちょっと!聞いてよ」 「ああ、西さん。コーヒーでいい?」 「あ、うん。あのね、中さん、うちの子がまた、学校行かないって言い出してさ。もう今月に入って3日目よ。4月になって久しぶりの学校だっていうのにさあ。学生なら学校にいるのが当たり前って、私の頃は当たり前に思ってたんやけどなあ」 西さんと呼ばれた40代くらいの女性は、入

母親の子ども

小さな本屋で見た光景。 若いお母さんが、背中に小さなリュックサックと、大きなカバンを提げている。 そして、片手に赤ちゃんを抱えて、もう片方で育児雑誌をめくっている。 赤ちゃんがじっとしてるとぐずるので、時々赤ちゃんを揺らしてあげる。 それで、目はじっと雑誌の方へ。 親の愛情、子不知。 いい光景でした。

この上なくゆっくり歩いた日

今日は、何もやることがなかった。 やるべきことはいつでもたくさんある。 僕はまだノーベル賞もアカデミー賞ももらっていない。 外は太陽が照らしていた。 僕は寝床を出て、ゆっくりとその辺を歩くことにした。 これ以上は止まってしまうようなくらいの歩幅でゆっくりと。 迷子の子供が、おろおろと歩くように。 すぐに心の中で声がした。 「もっと、ちゃっちゃと歩きなさい」 「ちゃっちゃ」とは母の口癖だ。 小さいころ

名前のない喫茶店 ~南雲さんの自分らしさ~

南雲さんは、珍しく席を立とうとしなかった。 いつもならコーヒーを飲んで背伸びをした後、さっさと準備をして、中さんに一声かけて、颯爽とドアを開け、仕事に戻るはずだった。 でも、今日はそんな気分にはなれなかった。今日はなりたい自分になれない。雨のせいか、とも思ったが、違う気がした。何かが気になっているのだ。 取り立てて問題はなかった。 仕事も順調だし、待遇にも不満はない。忙しいけれど、何より楽しい。休日

名前のない喫茶店 ~北本さんのワクワク~

北本は喫茶店からの景色を見るともなく、ぼんやり眺めていた。答えを探していた。 今月2回目の仮病休暇だった。朝いつものように家を出たが、どうにも気が乗らず会社に熱があると電話した。結婚した妻が間もなく身ごもったため、会社は比較的融通のつきやすい総務の仕事に移してくれた。正直多少休んだところで、大して仕事の問題はなかった。休みを告げた電話で上司は無理してないかと労ってくれさえした。 しかし、北本は今日の

名前のない喫茶店 ~葛西さんの今しかないこと~

「そりゃ、息子の年にいろいろ将来のこと考えたって無理なことわかってますよ。でもね、私のころはいろいろうるさくたって、親が言うことだったら、全く無視することなんてなかったですよ。そうでしょ、中さん」 葛西は、中田さんに自分の息子への愚痴を言うのが、ほぼ日課になりつつあった。息子が不登校がちというのが、その主な理由だが、中学になっていろいろと意見が合わなくなってきたことがどうにも納得がいかなかった。 「

つり革にかかった傘

今日は午後9時前くらいの電車(正確には汽車)に乗った。  夜の地方のローカル単線に、学生とスーツ姿がパラパラと乗り込む。 都会の顔を失ったような気配のない車内ではなく、どことなく人がいる気配がするのは不思議だ。 それほど親密ではないが、無防備なのだ。 つり革の手を持つところに傘が3本かかっている。 ひとつは黄色で、後は透明のビニール傘。 通路をはさんで向こうに座っている女子高生の持ち物らしい。 傘は

憧れという病気だった僕に

一昔前は、いろんな人に憧れていた。 ほとんど憧れという病気の慢性みたいな感じだった。 そういう人たちのところに出向いて、いろんなことを真剣にインタビューしたこともあった。  あなたは、どうしてそんなことができるのですか。 あなたは、どうやってそういう風になれたのですか。 大体は答えは決まっていた。 「たまたま・・・」「偶然・・・」「運が良かったのか・・・」「いつの間にか・・・」 そういう始まりだった

遊泳禁止サンプル

結構いろんな話に使えるなあ、と思って考えているたとえがある。  田舎にある川。 浅瀬があって、大小の岩があり、昔から地域の憩いの場になっている。 夏には子供たちが水遊びや川釣りをした。 でも、数年に一回は子供がその川で亡くなった。 流されたり、深いところにはまったりして、水死してしまった。 地域は色々な防御策や指導をするのだが、子供はスリルを楽しむので、 大人の目を盗んで危険なことをして、また悲しい

私を助けたもの ワークショップ2 もう一人の師匠

リゾートマンションという名称ほどでもありませんでした。 頭に「昭和の」とつけば、納得する感じでした。 25mのプールがあって、いくつかの多少錆びついた器具のあるジムがあり、小さな研修室がありました。それ以外は、少し広目のワンルームが10階ほどびっしり並んでいるような、海沿いの真っ白な建物。 地元からそれほど遠くないところに、こんな建物があったんだ。ボストンバッグを担いでバス停を降りた私は思いました。

名前のない喫茶店 ~北本さんとライフワーク~

夕日の光が少し強くなってきたのを部屋の中でも感じる。 北本は熱いコーヒーを一口すする。仕事の緊張感が少しゆるんでいく気がする。この時間に喫茶店に来るのが習慣になってきたと彼は思った。熱いコーヒーを飲んで、中さんとひととき語り合う、それが彼にとってちょっとした息抜きになっていた。 中田さんが小さなキッチンの方から顔を出した。 「もうじきアイスコーヒーの方が売れ始めるかな?」 「そうだね。でも僕は熱いコ

明石家さんまと笑福亭鶴瓶

「ヤングタウン」という大阪の深夜ラジオがあります。  もうないかもしれません、今は聴けてないですから。 僕は10代は深夜ラジオっ子で、高校生の頃は夜中の3時までラジオを聞きながら過ごすというのが珍しくなかったです。 ヤングタウンは欠かさず聞いていた番組のひとつで、土曜パーソナリティは鶴瓶さんで、日曜がさんまさんでした。 (パーソナリティっていう言葉って今考えると面白いですね。誰が言い始めたんだろう?

不安の解消について~つづき~

この文章は、前の一連の文章を書き終えて、1年ほどたって書き始めました。 その間に、たくさんのことがありました。ちょっと大変なこともありました。前の文章の中で、「もうわかった」と書いていたことが、「あれ?」とまた見えなくなったりもしました。 今しみじみと感じていることは、昔の自分のいろんな体験が今の自分につながっていることです。あのときわかったことも、あのころ悩んだことも、全部が今につながっています。

あなたの話を演じます~人生は大きな物語~

皆さんは,プレイバックシアターという言葉を知っていますか。 たぶん,ほとんどの人は知らない言葉だと思います。 私は,今はやっていませんが,去年までプレイバックシアターをしている劇団に所属していました。 皆さんにある日,プレイバックシアターと書かれたチラシが届いたとします。 誰でもご参加ください,と書いたチラシ。 どうも芝居のようなものらしいので,皆さんは試しにちょっとのぞいてみようと思います。 会場

伝わらない訴えを繰り返す人たち

たまにだが、精神障害・精神病を持った、あるいは、そうであろうと思われる方と仕事上会う。  彼らの中には,精神病による幻覚・幻聴などによるためか,常識的に考えて通常あり得ないと思われる話をする人がいる。 例えば,「隣人から24時間常になぜか監視されている」とか,「電磁波が見える、常に私を攻撃してくる」といったものである。時節柄,電磁波が放射能に変わる時があるかもしれない。 昔の私のイメージは,そういう

ばあちゃんとじいちゃんのおれ

ばあちゃん ごめんな、いつも迷惑ばかりかけてすまんな オレ ええよ…やりたいことはもうないん? ばあちゃん うん、もうないわ。何もしとうない。もうな、早く楽になりたいわ オレ …でも、楽になれるかどうかもわからんやんか ばあちゃん ほら、わからん。わからんけどな、こっちにおっても、おるだけで苦しいんよ オレ そうか…でも、そうしたら悲しむわな ばあちゃん そうやけど、それはもう仕様がないやんか オレ

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~

・私の気づきの入り口 最初の話はちょっと小難しくてややこしい話になりますが、大切な原点なので書いてみます。 私が大学1年生のころの話です。当時の私は、学校の先生になるという目標に向けて、教育学を勉強していました。 この勉強のモチベーションになっていたのは、過去に経験した受験勉強の不毛さ、それに対する怒りでした。 将来多くの人が、すぐに忘れてしまうような勉強を、なぜ何年も何時間もかけて、ただ1度の受験

私と共に立ってくれた人たち

仲間という言葉だけではまだ足りない、 私と共に立ってくれた人たちのことを覚えている。 その人は、特に有名でも実績を積んだわけでもなく、普通の人だった。 普通の仕事をし、普通の趣味を持ち、普通の生活をしていた。 でも彼らは違っていた。 彼らといると、私は何だかいつもよりも暖かくなったし、真剣になった。 彼らはいつも私を見ている気がした。 彼らは常に私の傍にいてくれた。 彼らは私の眺めているものを共に見

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~2

これを読んで、私は何で!と驚きました。 すると、日本の受験制度は、どんな環境のどんな学歴を積んだ子供でも、一応東大や慶応大を目指せる。他国の教育制度の多くは、一定の年齢に達すれば、もうホワイトカラーは目指せない。家柄や地域による教育差別も未だに激しい。 それに比べると、日本は教育格差が起きにくい制度設計になっているのだ、というのです。 もちろん、東大に合格する子供の家庭は、高所得層が多いのも事実です

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~3

・自分を壊すこと 大学生になって数か月、講堂であるチラシを見かけました。それはある洋画の鑑賞会で、無料ということもあり、何となく参加してみることにしました。 それはある大学教授の宿舎で行われ、私と数人の参加者は映画を観て、外国人(フランス人でしたか)の教授お手製のパイをいただきました。 映画は、児童相談所に子供を取り上げられる(つまり、虐待していると認定された)母親の苦悩を描いたもので、今から思って

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~4

先ほどの女性の言葉の中で、ジェンダーというのは、難しく言うと社会学的性差のことをいいます。人がその性別の違いで、それぞれの社会によって作られている社会習慣とか行動規範のことです。 例えば、日本社会では男性は通常スカートをはきません。しかし、スカートはスコットランド地方の男性の民族衣装だったそうです。それを19世紀にファッション界で女性のファッションとして流行らせましたから、今スカートを男性がはかない

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~5

・自分の再構築への違和感 さて、散々自分を壊し続けた私も、大学を卒業し社会に出ていく時期を迎えました。私はこのころこう考えていました。 「よし、相当自由に考えて動けるようになったから、これからはより良い自分になるために、自分を作り替えていこう。より自分の好きな仕事、関係、環境を作り出して、自分をもっと輝かせていかないと」 そう思って、就職活動や、社会参加とか、以前にも増して活動的に動こうとしました。

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~6

・自分と思っていた自分の発見 以前書いた一連の文章は、悩みに苦しまなくなった私の軌跡を書いた文章でした。 不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~ 今の私は確かに悩みに過度に苦しむことは無くなりました。 その後になって段々と、では私は一体何を見つけたのか、ということが分かってきました。 過去の私は、新しくより素晴らしい自分になることを目指し、そして失敗し続けました。失敗ばかりの自分でしたから

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~7

この本来の自分に私が気づけたとき、まず、私は不安を眺められるようになりました。 不安も風景が流れるように消えていくことを知りました。 不安にならないように強くなるわけではなく、どんな不安も全ては流れていくんだときちんと理解すること、これは私にとって本当の安心でした。 それから、本来の自分から全てが生まれていることが分かってきます。 全てとは私が認知できる全てです。逆に言えば、本来の自分以外では何も生

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~8

・本来の自分であることに気づく では、どうしたらその「本来の自分」に出会えるのでしょう。 これはもっと正確に言えば、 自分は“もともと”「本来の自分」であることにどうしたら気づけるのか 、ということです。 何か新しい自分に出会うのではなく、初めから今までずっと自分は変わらなかったことに気づくこと なのです。 不安の解消について~22年間自分探しを続けた私~6 以前書いた文章では、それには「どうにかす

名前のない喫茶店 ~東川君と信じられる自分~

「予備校生活はもう慣れたかい?」 「はい、何とか、やってます」 東川はアイスコーヒーのグラスを傾けながら、小さくうなづいた。 「そう、それは良かった。初めての一人暮らしは大変だものね」 「はい、まあ] 外は雨だった。梅雨明けはまだ遠いようだった。 東川は、雨の匂いが地元のものとは違うことに気がついていた。そんな違いを知ることが、故郷を思い出すってことなのかなと思う。まだ家をでてから数ヶ月だから、実感

みんなはしないだけ

小さな話ですが、今でも覚えている私の仕事の先輩の言葉を紹介します。 その先輩は、パソコンの処理にとても詳しくて、担当でもないのに他部署から問い合わせが頻繁にくるような人でした。 私が先輩と出張をした出先で、何気なく 「先輩はパソコンの知識があるから、周りから頼られてすごいですね」 と話しました。 そう言ったら先輩は一言こう言いました。 「みんながしないだけだよ」 思いもかけない返事にポカンとしている

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~9

・今ここの自分に降り立つ そうやって、自分を壊すことを続けていたのですが、あるときからそれがうまくできなくなっていきました。 異なる新たな価値観に出会う、自分を強くしていく、などの能動的な方法で自分を変えていくやり方では、それまでのように新鮮で感動的なものが生まれなくなっていきました。そして、それまでの自分のやり方に、強い違和感を感じ始めました。 同時に、それまで一応社会的に成り立っていた自分の活動

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~10

ここで行われることは、自分を壊すことのような何かを試すというよりは、 何かにゆだねてみる という感覚に近いと思います。どうなるか分からないし、そもそもどうしていいかもはっきりとは分からない。けれど、そこに何かがあるような気がするので、川に体を漂わせるように、とりあえずゆだねてみることです。 これは本当の意味のチャレンジだと思います。ただ闇雲に社会的に大きなことや目立つことをすることは、チャレンジでは

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~11

・何か仕組まれている感じ 自分の今の境遇が、どこかで誰かによって仕組まれたように感じられる ことはありませんか。 とても怪しく聞こえるかもしれませんが。 神の思し召し、ではありませんが、自分が全く意図していない、どころか、自分としてはちょっと不本意な状況に陥ってしまったと感じても、落ち着いて辺りを見回したら、自分にとって必要な環境が与えられている!と感じるような経験が私は何度もあります。 このサイト

本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~12終

今思えば、そのきっかけがなければ、今の私に気づくことはできなかったはずです。あるいは、気づくのがもっと遅くなっていたでしょう。 不思議としか言いようがありませんが、 私のこれまでの人生は、まさに今の自分に向かってつづられてきた実感が本当にしています 。 そういうことを経験し、また実感し、そのまま続けることが、本来の自分の発見につながると今は思われる のです。 最後まで読んでいただいた方の中には、何と

あのときのホットケーキ

大学浪人したときに、予備校の側に小さな商店街があって、そこを通って通学していた。 そこの途中の2階に小さな喫茶店があって、店の名前はニューヨーク。狭くて少しカビ臭くて。 古臭い純喫茶だった。 何でそこに行ったのかわからないけど、疲れてお金が少しあると、たまにそこの小さな1人席に座って、ホットケーキとコーヒーを頼んだ。 ホットケーキはアイスクリームが乗っかってて、あったかいホットケーキに冷たいアイスク

ヒーローはどこにいる?

小さいころからヒーローが好きだった。 それも、最初から“ある程度”強いヒーローが好きだった。 最初は弱くて努力して強くなっていくような成長物語は嫌いだった。 小さいころからヒーローになりたかった。 それは、強くなりたかったわけじゃなくて、たぶん安心したかったんだと思う。 最初から強いなら、どんなことがあっても大丈夫。 ちょっと大変でも、最後はなんとかすることができる。 小さいころはヒーローじゃなかっ

父は怒鳴った

3月のベッドの中で、私は動けなかった。 全身の力が完全に抜け切っていた。 布団の隙間から差してくる光は、思ったより力強かった。 目が差し抜かれるような痛い光だった。 季節は着実に春になっていた。 大学受験に落ちた。 全く予想外だった。 高望みもせず、確実に受かるところしか受けなかった、はずだった。 想定外という衝撃が10代の私を貫いていた。 昼間になれば、冬支度の布団は暑過ぎた。 出ていくしかない。

続・一人暮らしの方へ賃貸物件探しのポイント

今回新たに部屋探しをしました。 今回は複数の街のどこかに引越しようと考えたので、不動産屋も物件も10件以上は回りました。全体的には楽しい物件探しでした。 今回新たに分かったことや思い出したことがあったので、追記しようと思います。 今のシーズンは同じような引越を検討しようとする人も多いと思うので、お役にたてれば幸いです。 前回も言いましたが、私は単身の引っ越しをする者で、条件が許せばなるべく安い所に住

死ぬくらいでも、辞められない話

最近、広告会社に就職した東大生が1年目で自殺した報道を目にした。 私は彼女の詳細はよく知らないし、事件の経緯もわからない。 私の大卒時の最初の就職先も広告会社だった。 彼女のいた会社よりももっと小規模で、特定のサービスに特化した広告会社。 私はそこを一年あまりで自己都合により退職することになる。 それまで想定した進路とは全く違う結末になってしまった。 私の昔の話と彼女を重ねるつもりはないし、本当のと

それはそれでしかない

第一志望の大学に受かった。 1年浪人した上の合格だった。 受かったことが信じられなかった。 合格表を何度も見返した。 予備校の寮に帰って夜になってから やっとじわじわと感じ始めた。 俺、受かったんだ。 急に生活が変わり始めた。 大学に入学の書類を出して 予備校に退出手続きをして 新しい下宿を決めて 引越の手続きをして 教科書を大量に買って ガイダンスに出て サークル勧誘をくぐり抜けて 歓迎コンパを緊

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ブラック社畜だった僕の心を折った一言は、キレイめOLの何気ないつぶやきだった。

ねぇ、私たち、一日中ずっと、、、 はじめまして! フリーランスのWeb屋さんをしている、タカハタと申します。 Webサイトを作ったり、企業へのコンサルをしたり、プログラミングをしたり、、、 PCと己の身ひとつで仕事をする、いわゆるノマドワーカーをやっています。 そんな僕も、何年か前までは、フツーに企業で働くサラリーマンでした。 ところが、うっかりブラック企業に転職してしまったことを機に、体調を壊して
Shono Maho
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第1話あーすじぷしー【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

はじめまして! 私たちは Naho Maho という双子の姉妹です。 世界を旅しながら" あーすじぷしー "という生き方をしています。 現在(2014/2/8)グアテマラのホテルでこれを書いています。 この話は、私たちが" あーすじぷしー "という生き方をする前の話です。 1年前、まさか自分の人生でこんな奇妙な実験を本気で始めると思いもしませんでした。 そしてこんな人生を送るとも思いませんでした。
松本 亜也
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私には小さい頃から夢がありませんでした

なぜなら 今が楽しいと言うことが 私の中では何よりも 大事なことだったから。 なのに それだと アリとキリギリスの キリギリスになっちゃうから アリになりなさい。 と、大人や先生に 言われました。 でも、私が得意なのは キリギリスがやってるような ことなんです。 でも、 キリギリスになるのは 許されませんでした アリになるのが いかに大切で 私のためになるのか と言うことを 先生や大人に 説かれまし
沼澤 遵
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新卒に捧ぐ。働き始めて8年目の中堅社員が先輩に言われて背中を押された5つの言葉

新社会人のみなさん、入社おめでとうございます。はじめまして。僕は今年8年目の所謂中堅社員です。 社会人になって1ヶ月目。希望に溢れてる方、イメージしていた姿と入社後のギャップに絶望してる方も日々お疲れさまです。今回は、そんな皆さんの背中を少しでも押せればと思い、この8年で先輩たちに頂いた言葉をまとめてみました。 拙い文章ですが、少しでも次の日を頑張るきっかけになれば嬉しく思います。 1.「お前が仕事
武藤 北斗
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「好きな日に働ける会社」にして2年たちました

フリースケジュールという、パート従業員が好きな日に働ける会社を知っていますか。もちろん有給もあり、ミーティングや個別相談も勤務時間内。気持ちよく働くことを第一に考える、そんな会社のお話です。 *動画での解説作りました☟ https://youtu.be/xykPg70EPww ●届出もなく、好きな日に働く パート従業員は好きな日に出勤できます。週・月単位での出勤日数の定めもなく、 欠勤・出勤ともに連
Kuchiki Seiichiro
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ウソつき

こんにちは。医学生兼ライターの朽木( @amanojerk )です。 ライターとしてのお仕事の傍ら、医学生として、外来や病棟で触れる医療の様々についてお話ししています。 今回は「自分につくウソ」について。 ※個人情報への配慮 この記事は具体的な患者さんを話題にするものではありません。個人を特定できる情報は秘匿されており、患者さんの属性はフィクションです。ご了承ください。 僕はわりとウソつきだ。だから
ほー りぃ
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僕の名前も忘れ、100万人に1人の難病を患った妻と僕の物語

  「全生活史健忘(解離性症候群)」 これが妻に告げられた病名である。 ------------------- 発症以前の出生以来すべての自分に関する記憶が思い出せない(逆向性・全健忘)状態。自分の名前さえもわからず、「ここはどこ?私は誰?」という一般的に記憶喪失と呼ばれる状態である。「記憶喪失」と同視されている。障害されるのは主に自分に関する記憶であり、社会的なエピソードは覚えていることもある。
Kei Sen
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地震で壊れた祖父のお墓をなおす旅に、幽霊?の女の子と一緒にいった話。①

 お盆になると思い出す。おじいちゃんと女の子の話。 父方の祖父が亡くなったのは、私の七五三と重なった日で、 お祝いのワンピースが葬儀用になり 白い羽の髪飾りがつけられなくて泣いたのを覚えている。 それが、3歳だったか7歳だったか、あやふやな記憶。 会ったこともないし どんな人だったのかも親は話したがらなかったので、よく知らない。 函館空港から祖父の家に行き、 左側が海岸の道をずっと走った所にお墓があ
中条 信一
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とあるゲーム業界のブラック会社で夢の代償に僕が失った物。(終章)

とあるブラック会社に入社して三か月が経ち、絶望的状況ながらも仕事に慣れて来た頃です。 自分の会社は協力会社と言う名目で、版権を貸して貰い、製作に仕事に携わる事が多かったです。 【お客さんから版権を借りる】    ↕ 【ゲームを作る(自分の会社)】    ↕ 【市場に流してくれる会社に委託する(バグ修正や市場提供)】 このような板挟みの構造になっている状況でした。 徹夜明けでタバコを吸っていると、 2
Mami Yamazaki
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地元から一歩も出たくなかった私が石垣島への移住きっかけに人生が様変わりした話

【引越し編】 1。ふられた まず、私がこの話で伝えたいことを書いておく。 ひとつめは、 何かを失うことはこわくないということ。 ふたつめは、 環境が変わることもこわくないということ。 みっつめは、 付き合う人が変わると世界が広がるということ。 私はあと半年で30になる冬。当時4年くらい付き合っていた彼氏にふられた。 ちょうどその頃、弟の結婚が決まっていた。 私はとにかく気を紛らわせるため、仕事とバイ

書きかけのストーリー

Miyoshi Hirofumiさんにもっと聞きたい話リクエストする

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