「目利き」の職人をセンシング技術で再現する。産総研による、魚の鮮度をニオイで判定できるセンシング技術の開発ストーリー
私たちは日本最大級の国立研究機関、産業技術総合研究所、通称「産総研」です。「さんそうけん」の名前は聞き覚えがないかもしれませんが、スマートフォンの中身のセンサー材料開発や、電車の軽量化に貢献できるパワー半導体の開発など、あなたの身近につながる研究をしている…そんな研究所です。
今回ご紹介するのは、この鮮度判定の職人技をセンシング技術で可能にした研究です。話してくれたのは、伊藤敏雄主任研究員。「ニオイ」を見える化することで、鮮度判定に成功しました。
日本ではすしや刺し身など「生で魚を食べること」が日常的に行われています。それを可能にしているのは、「目利き」と呼ばれる、魚の鮮度を判断できる職人たちです。しかし、海外にはまだ「目利きの職人」が少なく、日本の魚は限られたお店でしか提供されていませんでした。一方で日本食ブームは加速し続けています。鮮度の判定を職人のかわりに行える技術があれば、いまよりも魚を食べてもらえるようになり、輸出量も増えることが期待できます。
海外でも安心して生鮮水産物を食べてもらうために
ニューヨーク、ロスアンゼルス、パリ、北京など…世界各国で空前の日本食ブームがおきています。日本食の代表例とも言える「すし/SUSHI」。日本では、専門店であるすし屋に限らず、気軽に、日常的に食べられます。これを可能にしているのが、漁場から食卓に至るまでの高レベルな鮮度管理・品質管理です。しかし、海外では、生の魚の取り扱いが困難なことから、専門店で楽しむもの、と理解されています。近年、海に囲まれた日本が世界で存在感を示せる「商品」として、生鮮水産物の輸出に力を入れ始めていますが、取り扱う店舗が限定されてしまうのであれば、輸出の拡大にはつながりません。
輸出を増やすためには、食文化の中で培われてきた鮮度判定の「目利き職人」が必要不可欠です。しかし、職人を一朝一夕に、かつ必要とされるすべての国で育成するのは不可能です。そこで、「目利き職人」が少ない海外でも安心して生鮮水産物を食べてもらうため、鮮度の判定ができる技術開発が必要となってきたのです。
魚の鮮度を手軽に測るためのセンサー技術を開発
ところで、魚の鮮度は「目利き職人」だけが行えるものなの?と疑問に思った人もいるかもしれません。魚の鮮度は、今も「K値」という指標を用いて判定できます。これは、魚の筋肉中に含まれるアデノシン三リン酸(ATP)が、魚の死後分解され、その分解生成物量の割合がどのくらいあるかを見る方法です。K値を測定するためには、魚肉を採取しなければならないこと、分解生成物を抽出し、分析するための技術や設備が必要なこと、結果が出るまで1日程度と時間がかかってしまうことなど、使用するためには少し欠点がありました。
水産物の輸出拡大には、鮮度を現場で測定し、判断できることが必要です。そこで、鮮度の見える化を目的としたセンサー技術の開発が必要になります。これまで、ニオイ成分の化学物質を検知するなど、半導体式センサーをつかったセンシングの研究をしていた伊藤。測定できるだけではなく、手軽に、迅速にできる方法の開発を目指しました。
半導体式センサーで鮮度判定を行うための研究を実施
伊藤は、これまで培ってきた「半導体式センサーのニオイセンシング技術」を用いて、魚の鮮度を判定できないかひとつひとつ検討を始めました。
(1)実験につかう魚をきめる
(2)測定するニオイをきめる
(3)測るためのセンサーを搭載したポータブル測定器を準備する
(4)「指標ガス」を使って鮮度判定を学習させ、「目利き職人」を開発する
(5)「目利き職人」となったポータブル測定器で生魚の測定をする
(1)まず、取り掛かったのは、どの魚種を対象にするか決めることからでした。センシング技術のことはわかっても魚のことはわからない伊藤。協力先である北海道立工業技術センターに相談し、複数の魚種を提案いただきました。その中から選ばれたのは、養殖のブリ。伊藤が勤務する愛知県でも入手できる身近さが最後の決め手でした。
(2)次に、測定するニオイの元となる化学物質の検出です。ブリの鮮度を4段階(①入荷直後、②生食(0 ℃の保管で入荷から5日後)、③加熱調理で可食(0 ℃の保管で入荷から11日後)、④腐敗(30 ℃の保管で入荷から1日後))で定義し、北海道立工業技術センターと共同で段階ごとのニオイの採取と分析を行いました。合計27成分の化学物質を検出できました。
(3)測るためのセンサーは、ニオイの成分によっての電気抵抗が変わる性質をセンサー応答に利用したものです。市販されているガスセンサーでも採用されている「n型半導体式センサー」「p型半導体式センサー」だけでなく、産総研が開発した「バルク応答型半導体式センサー」を使っています。これらの半導体式センサーは、同じ種類(族)の化学物質には類似するセンサー応答を示すことが知られています。化学物質の比からニオイを判定できるよう、試作したポータブル測定器には8種類の半導体式センサーを搭載しています。
(4)いよいよ「ニオイ」を測ります。伊藤は、検出した27成分の化学物質のうち7割以上が4種の族で占められていたことに着目しました。半導体式センサーの特徴に基づいて各族の代表的な化学物質4成分を調整して指標ガスを作りました。4成分の化学物質の濃度を調整し、4段階の鮮度状態を再現したのです。再現された4段階のガスをポータブル測定器で繰り返し測り、十分なデータがたまった段階で正しく分類できるか機械学習による解析で正答率を出したところ、6割程度と満足行くものではありませんでした。そこで、成功率を高めるため、センサーがガスに応答したときの値だけでなく、通常の値に戻る過程も解析に利用しました。半導体式センサーは、化学物質により回復速度が異なる性質があり、これも解析に含めたのです。この結果、正答率は大幅に向上しました。9割5分とかなり高い確率で鮮度判定に成功したのです。これらのデータを学習した機械学習の一種である畳み込みニューラルネットワークが「目利き職人」のかわりに判定をしてくれる見込みがたちました。
(5)ようやく、養殖ブリの刺し身の測定です。ブリの刺し身をガスバッグにいれ、購入直後のニオイを室温下(約22 ℃)で測定し、家庭用冷蔵庫(2~5 ℃)で1日保管して、室温下に戻して再度測定しました。購入直後は生食でも食べられる、1日保管後は加熱調理であれば食べられる、という結果でした。
この結果、見た目も含めて、測定者である伊藤はどう感じたのでしょう。素朴な疑問としてぶつけてみました。
「まだ研究段階なので、測定と解析を分けて行っています。測定中はセンサー応答である半導体式センサーの抵抗値変化をグラフで見るだけになります。人間は、抵抗値の波形を見ただけでは、これが何を示すのか判断できません。このデータを機械学習に掛けると、一瞬で判定されます。研究を行っている自分も、機械学習の結果にはいつも驚かされます。」
「食」の研究を行う北海道の研究拠点から、非破壊センシングが可能な技術者としてオファーがかかった
この研究は、北海道立工業技術センターと協力して行われました。一方、伊藤が勤務するのは、愛知県名古屋市にある産総研中部センターです。連携の始まりは、14年前の産総研北海道センターに届いた1件の技術相談に端を発する連携成果からでした。全国12カ所にある産総研の研究拠点。そのうち北海道は、農業や漁業など食に関する研究にも力をいれている研究拠点です。鮮魚の高鮮度保持流通技術、K値のJAS化、鮮度管理システム開発などの成果が得られ、いよいよ「鮮度を測れるセンサーを作りたいが、それを実現してくれる技術をもった研究者はいないだろうか」というニーズの高まりがありました。担当したのは、魚の鮮度管理に関する研究に連携を通じて長く携わってきた永石博志連携オフィサー。協力者は、以前にシャーベット状海水氷製氷機の開発を永石とともに行った北海道立工業技術センターの吉岡専門研究員でした。永石は、2000人を超える研究者の中から、食品として流通するために必要な「非破壊のセンシングが可能な技術者」を探しました。そうして、ニオイ成分の化学物質を検知するなど、ガスセンサーの開発を行っていた伊藤にオファーがかかったのです。伊藤にとっても、これまで培った技術の応用先を広げるチャンスとなりました。
レストランや飲食店以外にも、ニオイに困っている他団体から大きな反響が
伊藤の成果は、発表後大きな反響がありました。鮮度判定が必要となるレストランや飲食店だけでなく「ニオイに困っているので使ってみたい」と想定していなかった団体からのコメントも届いています。日々、対応に追われる伊藤ですが、にこやかに話してくれました。
「偶然ではありますが対象を身近なブリとしたこと、機械学習を使って細かい分析を行い、精度を向上できたことが今回の反響につながったと考えています。もともと学生時代は有機化学を専攻しておりニオイ成分の化学物質に精通していたこと、以前携わったプロジェクトで機械学習を学ぶ機会があったことが成功の一因としてあるかもしれません。今後は、生鮮水産物を扱っている現場などで希望される方にまずは使っていただけるよう、この技術をブラッシュアップしていきたいと考えています。そのフィードバックを次の研究に活かしたいなと思っています」
目利き職人測定器が活躍できる日まで
人間の「目利き職人」の目が届かない場所で「目利き職人測定器」が活躍できる日も近いかもしれません。今後の研究にも、ぜひご期待ください。
なお、本研究開発は、生物系特定産業技術研究支援センターのイノベーション創出強化研究推進事業「輸出促進を目指した生鮮水産物の品質制御と鮮度の“見える化”技術の開発(2021~2023年度)」による支援を受けています。
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