「人生って意外と 捨てたもんじゃないよ。」

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人生の最期通告をされた気分だったな。




それからも引きこもりの日々が続いていた。


前と少し変わったのはうつ病に関する本を買いあさり


片っ端から読みまくった。


読めば読む程、うつ病になる訳がないと


落ち込みが一段と増していた。


そうして家族も疲れ果てて行った頃に


知り合いのおばさんから連絡があった。


中学の後輩のお母さんだ。


「テレビを見ていたら、凄くいい施設を見つけたの。忍ちゃんも絶対に良くなるから行ってみない?」


という内容。


どうやら母親がオレの事で相談をしていたらしい。


中学の頃からホントによくしてくれたおばさんだった。




「おばさん元気な忍ちゃん知ってるもん。だから元気になって欲しいの。」


廃人になっていた心にもその気持ちは届いた。


病気を治して昔みたいに戻りたい。


数日後、おばさんは手紙をくれた。




その中には施設の名前と住所と施設までの交通費が入れてあった。


ありがとう。


おばさんホントにありがとう。


涙が止まらなかった。




後で聞いた話だが母親もオレの事でかなり追い詰められていて


どうする事も出来ずにいたらしい。




実は母親も以前パニック障害にかかり苦しい思いをしていた。


だから辛いのが痛い程分かるし、


明るいだけが取り柄だった奴がこんな状態になってしまって


誰よりショックを受けてしまっていた。


ごめん。




自分ばっかり苦しいんだって思ってた。


そうして紹介してくれた施設に行く事を決意した。






③ 施設での生活   


紹介してくれた施設は一人の尼さん(庵主さん)が


心の病気やDVや借金など、


何かに苦しんでいる人を保護して社会に戻れる様に、


普通に生活できる様に集団生活をしながら心を休める場所。


庵主さんも過去に、次男を出産して数日後に夫を交通事故で亡くし


自殺も考えたという。


人生のどん底から這い上がってきた方。


この人ならオレの気持ちを分かってくれるかも?


少しだけ希望が持てた。


こうして施設での生活がスタートした




この施設には本当に色んな事を抱えて苦しんでいる人達がたくさんいた。


やっぱり辛い思いをしてるのはオレだけじゃなかったんだ。


オレなんかの悩みなんて小さいもんだった。




施設では朝早くからお経を唱える。




最初は起きられず参加しなかったけど、だんだんと


お経を大きな声で唱える事によって心の中が空っぽになり少し元気が出た気になった。


ちなみに無宗教だから、お経なんて葬式位でしか聞いた事なかった。

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