「人生って意外と 捨てたもんじゃないよ。」

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庵主さんがお経の意味を少しずつ教えてくれた。


釈迦ってすごいと思ったな。


お経が終わったらみんなで施設内の掃除と朝ごはん作り。


ご飯ができたらみんなで食べる。


昼間は自由時間。


働きに出る人もいれば、ゆっくり休養している人もいた。


また夕方になるとみんなで夕飯を作り一緒に食べる。


強要される事は何もなかった。




庵主さんは困った事があると何でも話を聞いてくれた。


もう一人じゃない。


そう思ったらみるみる元気になって行った。


発作もほとんど起きなくなった。


働く意欲も湧いてきてバイトに行ったりもした。




でもうつ病はそんな簡単に治るもんじゃなく、


元気になっては落ち込み、元気になっては落ち込みの繰り返し。


落ち込んでは腕を切り、薬の大量服用をしてみんなに迷惑と心配をかけた。


バイトに行ってくるとウソをつきパチンコに行った事もあった。


時には全く呑めない酒を浴びる様に呑んで暴れたりもした。


施設から飛び出して行った事もあったっけ。


そんな時でも庵主さんは時には涙を流しながら叱ってくれた。諭してくれた。




まだまだ不安定な状態だからバイトも長続きしなかった。


でも庵主さんは


「次を探せばいいじゃない。あなたならすぐに見つかるわよ。」


決して責めなかった。




庵主さんは常にオレの味方で居てくれた。


そんな事を繰り返しているうちにいつの間にか落ち込む回数も時間も減っていった。


間違いなく病状は軽くなっていた。




施設には庵主さんや仲間が居た。


孤独なんかじゃない。


それだけで勇気が出た。


オレより何倍も苦しい思いしてる人だって一生懸命良くなろうと頑張ってる。


お互い相談し合ったり、お互い励ましあったりした。


オレも頑張らなきゃな。そう思えた。


そんな日々を施設で過ごし、


約1年後には自宅に帰れる位までに回復した。




ここに来なかったら、今でもまだ苦しんでいたかもしれない。


もしかしたら自殺してこの世に居なかったかもしれない。




今でも庵主さんには時々連絡を取り、


都合が合えば逢いに行っている。




今となってはあの頃の事も笑い話になった。




庵主さん本当にオレを救ってくれてありがとう。


これから一生掛けて恩返ししていきたい。


オレが出来るオレなりの方法でね。




パニック障害を発症してからもう7年近く経ったと思う。


今でも時々発作が起こったり、眠れなかったりする時だってあるけど、


普通に生活が出来てる。




「病気を受け入れて気長に付き合っていこう」と思ってから急に心が楽になった気がする。


発作が怖くなくなった。


発作が起こったって直ぐに治まるって分かったから。

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