普通の主婦の普通じゃなかった半生 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ 総集編
海に潜ってみたい。
若い頃からの憧れを実現したのはそんな時でした。
私はリゾート地で体験ダイビングに一人で行くようになりました。
海の中の世界は私の想像を超えた美しさでした。
嫌なこと辛いこと、すべて忘れることができました。
何度でも潜りたくなりました。
ずっと海の中に居たかった。。。
でも、家に帰ればまた現実と直面しました。
プライベートの無い、子供が産めない自分。
その現実。
夫にまた八つ当たりしてしまう自分。
そんな自分が嫌で仕方ありませんでした。
同居して5年目、ある日突然夫が賃貸マンションの間取り図のファックスを私に見せました。
「ここを出よう!すぐに。」
夫はそれだけ言いました。
鬱病を治す一番の治療法は環境を変えること。
夫は二世帯住宅からの家出を決めてくれたのです。
私たちは1週間も経たないうちに二世帯住宅から家出し、またマンション暮らしをはじめました。
そのマンションには2年間居ました。
そして急成長した夫の会社の持ち株を売って、私たちは二世帯住宅のローンを完済し、自分たちだけの家を持ちました。
それが今、住んでいる家です。
ここが、この小さな家が、私の「家」です。
ずっと借家暮らしだった私にとって、はじめて自分の家だと思える家です。
先代の猫、ピキオとビーは15歳と18歳で逝ってしまいましたが、
今は黒猫の「福」8歳と白猫の「天」1歳3ヶ月が私たちと暮らしてくれる家族です。
福は捨て猫で生後3ヶ月まで虐待を受けていた子。
天については後に書きます。
天は家に来てくれるために生まれてきてくれた子でした。
写真 「福」
写真「天」
夢だったダイバーへ。
写真 私くらいあるでっかいアオウミガメさんと。
写真 ギンガメアジの群れと私。
私が鬱病になってから、夫と私は行けるだけ、お金を貯めては夫が長期休暇を取れるごとに海外のリゾート地に行きました。
夫はホテルのプールで読書しながらビールを飲んでまったりするのが好きでしたが、その度に私は一人で体験ダイビングに出かけるようになりました。
海の中の世界はそれほど私にとって魅力的で、海は私の心の傷や痛みを全部流してくれたからです。
夫は当初、いくら誘っても「恐いから。」と言って拒否ってました。
体験ダイビングというのはライセンスを持っていなくてもガイドさんにみてもらいながらスクーバダイビングを浅瀬で「体験」するものです。
でも、あくまでも体験で深場にも行けないし自由に自分で泳ぎ回ったりはできません。
ちょこっと潜って海の中をちょこっと見物させてもらう、そんな感じです。
だけど、体験ダイビングでスクーバダイビングが膝の悪い私でもできるという自信を得た私は、だんだん欲が出てきました。
それでバリ島で一人でライセンスを取得しに行きました。
18mまで潜れる最初の段階、オープンウォーターコース3日間のコースでした。
それは予備知識が全く無かった私が思っていたよりもとても大変なものでした。
1日目、学科。
1cm以上もある分厚いでかい教本を渡され、先生と一緒にそれを読んでいきます。
読んだだけでも難しい!なんのことやら?
潜水に関する物理、水中での生理現象(水中ではモノが実際よりも大きく見えることや音がなっていても方角が特定できない等々)トラブルがあった時の対応、一番難しかったのは減圧理論でした。
潜水すると体内に窒素が溜まっていくため、それを排出するための表計算です。
大事なところにはマーカーでラインを引きます。
一章すむごとにミニテストがあって、その間は先生は休んでおられるけども、「早く終わりたかったら休憩無しでやりましょう。」そう言われた私は無我夢中でお昼以外休みをとらずに、みっちり8時間勉強しました。
最後に本番のテスト、これに76点以上で合格しなければテストのやり直しです。
私は76点ギリギリセーフで合格しました。
2日目3日目、プール講習と海洋実習。
実技、フィン&マスク無しで60mスイムやラッコみたいな状態で浮いていること15分。
タンクに器材をセッティングする方法や、トラブルがあった時の実際の対応、口にくわえるレギュレーターが外れた時にくわえ直すレギュレーターリカバリーやマスクが外れた時にもう一度はめ直すマスクの脱着、マスクに水が入った時に水を外に出すマスククリアなど。
それまで体験ダイビングでガイドさんにすべておまかせだった私には大変だったけど、これを全部クリアしていけばライセンスが取れる!そう思うと楽しかったです。
水中では落ち着いていると褒められました。
そうだと思います。だって私は体験ダイビングを5年もやっていたのだから、体験ダイビングのベテランでした。
3日間の講習を終え、私は無事ライセンスを取得できました。
やったぁ!これで私もダイバーの仲間入りだ!!
夢への一歩はそこから始まりました。
私がオープンウォーターライセンスを取ってすぐでした。
あれだけ断固としてダイビングするのを嫌がっていた夫がいきなり自分も取ると言い出しました。
ダイビングの教本が面白かったからだと言っていますが、私が思うにヘタレの私が自分一人でそこまでしてでもやりたいダイビングというものに興味を持ったからだと私は思っています。
夫は体験ダイビングも経験せずに一人でグアムでオープンウォーターライセンスを取りました。
夫婦揃ってダイバーになった訳です。
そこから、グアムでアドバンス(30mまで潜れるライセンス)を取り、セブ島でレスキュー(ダイビングにおける緊急時の手順を取得するライセンス)を取り、セブ島でマスタースクーバダイバー(素人で一番上のライセンス略してMSD)まで夫と二人で取りました。
私は膝が悪いのでそこまでで、プロになるのは諦めましたが、夫はそこからセブ島でダイブマスターを取りトータルで一ヶ月もかけてインストラクターの資格まで取ったプロダイバーです。
仕事にはしていませんが、今もまたテックダイビングという違う資格に挑戦しています。
まるでライセンスコレクターのようにライセンスを取ったのは、世界のいろんな海で安全に潜りたかったからです。
ハマっていくほどに海の中の世界は私たちを魅了し、重力の無い浮遊感はどこまでも自由で身体も心も解放されるものでした。
ストレスなんか全部、海がもらってくれました。
風の谷のナウシカに出てくるような不思議な生き物たちやカラフルな珊瑚、海の中にはいつも初めて体験することがあります。
それは大人になった私が日常では体験できない初体験の連続です。
ダイビング中毒になる人たちはみんな同じだと思います。
青い青い美しい世界に包まれる他では経験できない幸福感と、
未知の世界への冒険と憧れです。
写真 私が撮った水中風景。
写真 私が撮ったホヤ(植物のようですが動物です。)
それからダイビングのもう一つの魅力は同じ趣味を持つ老若男女いろんな人たちと気が合えばすぐに親しくなれることです。
日常では出会いもできない人々との出会い。
たとえばボートで3本潜るとして、1本目と2本目の間には身体に溜まった窒素を抜くために約1時間のボート上での水面休憩があります。
2本目と3本目の間も同じく水面休憩をとらなくてはいけません。
その間、一緒に潜っているいろんな人たちと話しができます。
海外ダイビングや離島ダイビングではほとんどの人が何日間か続けて潜ります。
ゲストはボートに乗った朝からボートを降りる夕方までずっと一緒です。
ショップディナーがあるダイビングショップだと夕飯の飲み会まで一緒です。
つまり朝から晩までずっと一緒です。
そしてその日のダイビングについて語り合ったり、自分が行ったいろんな海の話しをしたり、撮った写真を見せ合ったりしていれば、同じ趣味を持つダイバー同士すぐに親しくなれ短期間で濃い付き合いができます。
ダイバーになって世界観が広がったと同時に友人の幅もものすごく広がりました。
今、私の大切な友達の多くはダイビングで知り合った友達です。
日本中どころか他の国にも友達ができました。
夫が忙しい時はその友達たちと現地待ち合わせでいろんな国に潜りに行ったりするようになりました。
私の行動範囲も行動力もダイビングによって大きく広がっていったのです。
今のダイバーの友人たちは私が引きこもりで引っ込み思案で笑うこともできなかった少女だったって、誰も信じてくれないでしょうね。
ダイビングを通してのすべての経験と友達は私の財産になりました。
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