「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話⑨発達障害の克服 (平成26年2月以降)
成果物系「ブロック」③浄化
「地球が天国になる話」①
ネットでも斎藤1人さんの最高傑作ではないかとも言われていますが、私もそう思いますね。斎藤一人さんのテープは「 100回聞きCD」を含め、 多くのものがYouTubeで聴くことができます。その中で1つだけ人に薦めるとするなら、「地球が天国になる話」を選びます。聞くことで、なぜ苦しんできたか理解できたので。多くの人に聞いて欲しいです。
劣等感について説かれています。私は納得できました。過去のことが甦ります。私は精神を病んでいましたが、なぜそうなったか理解できましたね。当事者として生きてきて一次障害からくる不全感や人の関わりの中で、自分の心を傷つけていたのでした。人の心の繊細さということに愕然としましたね。そして思うのでした。「私は逆に、周りの人に劣等感を起こさせるよう行為をしてこなかったか?」。人と接することは少なからず他人に影響を及ぼすわけです。私は心を配って生きてこられただろうか?
緑字引用
まずは、この話を聴いてもらわないと、わかってもらえないと思うんですけど、実は、悪徳裁判官がいます。悪徳裁判官っていうのはなんですかっていったとき、あなたが罪をおかしました、極端な話だけど、あなたは人を殺してしまいました。そしたら10年の刑を受けました。
で、あなたは出てきました。罪をつぐなって出てきました。そうしたら、また捕まってしまいました。またもう一回10年の刑期で入れられました。で、また出てきました。そしたらまた捕まってしまいました。前の罪で何回も何回も捕まってしまいました。それはおかしいですよね。罪を償って出てきたのにね。それが実は悪徳裁判官なんです。
で、それはなんですかっていうと、人によって、たとえば小さい時に成績が悪くて親にがっかりされたとします。そのことを思い出すと、あなたの心の中にいる裁判官が、またその時と同じくらい嫌な気持ちにさせます。それが何年も何年も続きます。その子はもう、親に一回嫌な顔された時点でもう十分罪はつぐなっています。
だって嫌な思いしてるでしょ?それから中には自分の家が貧しくて給食代が免除されてた人だっているんです。その時にもうその人嫌な思いしてるんです。それを何回も何回も思いださせては、嫌な気分にさせる。そういう裁判官が実はあなたの中にいるんです。一番最初に傷つけたのは、劣等感を与えたのは親かもしれない。でもその劣等感を何度も何度も繰り返して、嫌な気分にさせてるのは自分の中に入る悪徳裁判官なんです。
地球が天国になる話」②
このお話のすごいところは、劣等感について解説しているだけじゃなくて、その解消法も提示しているのです。まず見抜くことですね。自分の中に劣等感があることを自覚して、それがなにからくるか見抜くのです。自分に過去を振り返ることになります。これは本文中たくさんの例があります。いかに自分の心が傷付いてきたか理解できると思います。
そして、言霊を使い浄化するのです。これは多分人によっては拒否感がある方もいるかもしれない。多分人がなにか成し遂げようと思うなら、その方法論を心の底から信じることが出来ないのなら効果がないです。私の斉藤一人さんの教えで救われたのは、信じてその通りにやったからです。まず私のこの「ストーリー」で興味を感じたのなら、まず聞いてみて下さい。苦しんでいる人がいるのなら何かのきっかけになることを願っています。
緑字引用
何度も何度も、同じ罪を与える悪徳裁判官から、お別れしてください。自分の心の中から、そういう悪徳裁判官が出てきたら、断固として
「私の罪は償ったし、もっと言わしてもらうと、一番最初の罪は私の罪じゃございません」って。
「やめてください、もうあなたとは縁を切ります」って。
縁を切ってください。それで。いいですか。その後どうしたらいいですか、って質問なんです。
劣等感からもお別れしました。悪徳裁判官ともお別れしました。そしたら、実は心の中に、その分ぽっかり穴が開くんです。で、あけたままにしておくと、また昔と同じように、悪徳裁判官がそこに住みついちゃうんです。そこで、一番肝心なことなんです。その時に自分の心を埋める方法、ひとつしかないです。いろんな方法試す人がいるけど、これひとつしかないです。簡単ですからね。天国言葉、言霊の力を利用してください。それでその言霊を、私今からいいますからね。
「ついてる」
「うれしい」
「楽しい」
「感謝してます」
「幸せ」
「ありがとう」
「許します」
これを呪文のように何回も唱えてください。誰かに、「ありがとう」とか「感謝してます」とか「ついてるね」とかって、人に言うってことはあとにしてください。それより、心の中であいてるものですから、一日何回も何回も言ってて、心を一杯にしてください。で、心が一杯になれば人にも言えるようになります。あふれるように一杯になったらあふれ出るんです。それを、あふれ出る前に、さあ言いましょうっていったて、人ってなかなか出来ないです。いいですか。
「ついてる」
「うれしい」
「楽しい」
「感謝してます」
「幸せ」
「ありがとう」
「許します」
この言葉を何回も何回も呪文のように唱えてください。この言霊の力で、見事になおります。
それで幸せになります。二度と悪徳裁判官が住み着くこともないです。それからあなたに劣等感を与えることもないです。この事だけをやり続けてください。
ユルスコトカラ①
何も知らない無垢な魂に、毒を流しこんで、汚く染まる様を暗い快感をもって、喜ぶ人間がいる。無垢な魂が次第に苦しみ、もがく様を見て「ざまぁみろ」と心の中で思い。周りには「あいつは頭がおかいしよね。こっちに迷惑がかかる。あんなヤツ死ねばいいのに」と被害者面をして喜ぶ人間が居る。
こちらが弱いとなると明確な悪意をもって、憂さ晴らしをするように苛め、もっと悪質に人格破壊をする人間はいますね。人の出来ないことをあざ笑って、貶めて喜ぶ人間はいます。当事者として思うのは、そういう人間に遭遇する確率って多くないですか。そういう人間を引き寄せる要素があるのかな。
当事者として生きていると、自分に出来ないことってたくさんあります。そのことで傷付くことがある訳です。それなりに苦労してさ、理不尽な事にもたくさんあったわけですね。そして、人にやさしくしようと思うわけですよ。「私は、あんな物の言い方をしないようにしょう」、「世の中にはいろんな人がいる。違いを認めよう」。人に優しくしようと思う当事者はいますね。人に嫌なことをされたからといって、自分が他人に嫌なことするのおかしい。そう考える人多いと思いますよ。
でも、人に優しく出来ていますか?
これが普通の日常の部分なら、人に優しくすることは多分できます。ただ、自分が追いつめられたりとか、過剰なストレスがかかったりとかね、そういう時に「人にやさしく」することができるのかというと、私の場合は決してそうではなかったね。自分の中の鬼のような部分を自覚することがある。
なぜならば、「人に優しくすること」を学んでいないからです。少なくとも自分の引き出しにはあまり入っていない。責任転換で精神をいたぶられ、悪意をもって怒鳴り付けられながら指導された記憶が多いです。基本的に人に対する信頼感ってのは醸成されてこなかった。自分の引き出しの中には、自分がかつてされた人に対する接し方というのが入っていて、人に優しくすること拒むのです。心の傷が癒えていない。
ユルスコトカラ②
結局は人に本当の意味で優しくしたいのなら、自分のなかの鬼の部分を何とかするしかないよ。
「私たちの力で未来を変える」と言葉は全く信じていません。理解ができない。なぜならば未来は、未だ来ていないから未来なのです。まだ来ていないものをどうやって変えることができるのだ。また「 現在を変える」この言葉もよく判りません。現在は今作っている最中でしょ。変えるのはおかしい。変えることが出来るのは「過去」です。過去ならば、変えることができます。正確にいうのなら、起きたことは変わらない。それは無理ですね。タイムマシンが必要です(笑)。過去に起こったことの受け取り方変えることができます。
普通に生きているといろんな人に会うことになります。その中でこの人、何かおかしいなと思うことってありますよね。
「なんでこの状況で切れちゃうのかな」
「今、怒る時じゃないでしょ」
「何故、こんなに気持ちが動揺しているの?」
「なんでそんなふうに感じるのかわからないな」
など、違和感を覚えることありませんか?
人と接していると、その人の辿ってきた過去が感じられることがあります。そして非常に辛い目にあってきたとかね、多分虐待も受けて成長したな、尋常じゃないぐらいいじめを経験して来たのだろうなと。
人から受ける印象はその人の過去の経験に由来していることが多いですね。
現在のあなたは過去のあなたが作っている。過去での経験が養分なって現在のあなたという花を咲かしている。人と生まれたのなら綺麗な花を咲かせたいね。
過去のあなたを解放しましょう、まず許そう。許さないことに始まらないね。過去のことで心に傷がついているとしたら、許すことで傷ではなくなるよ。傷が塞がってそこから血が流れることは無くなる。ただ傷あとは残るかもしれない。その人が辿ってきた痕跡は心に残る。でもその痕跡がその人を彩る模様になるよ。「人間関係でいろんな経験をしているほうが、人に優しく出来る」という言葉がありますけでも、許すことが出来てからです。もう楽になってもいいと思う。
成果物系「苦しんでる彼を助けること(解離・フラッシュバック・睡眠障害・過食の軽減・克服)」
「彼」について
まず自分の中の私に気が付いたのが、多分平成19年頃です。苦しんでいる彼にどう語りかけていいか判らなかった。当時の私の引き出しの中に話せる言葉は入っていなかった。そして「思考が飛ぶ」ことになり、忘れてまた思い出して「これで何度目だろう」と思うのですが、そんな思いもまた忘れてしまうのでした。
平成22年終わり頃、斎藤一人の書籍に会いそして「100回聞きCD」 CDの存在を知り、生きるための自己規範、即ち「道徳」になると気がつきました。それと同時にこれは「彼」と話せるツールになると思ったのでした。そのことを忘れてしまうのですけどもね。
これまで私はホームレスを3回ほど、多分計1年ぐらい経験しています。
それ以外にも死んでもおかしくない状況に、私の覚えている範囲でも7・8回ありますね。なかなか死なないです。普通に読むとどうやっても悲惨な人生ですね。ダメ人間の生きた見本ですね、残念ですけどね。振り返ると、どこかの時点で自ら命をたってもおかしくはなかったね。
でも当時の私は「悲惨だな」とは考えてはいなかったのです。むしろ俺は運が良いのではないか?と常に考えていました。そう思い込んでいたのでした。
追われるように転々と生きてきましたが、それぞれ人に運命があり、たまたま俺はこうなのだと考えていました。自分の愚かさから来る不幸もあるということも自覚はしていましたが、努力すらできない状況だったのである意味、達観の境地だったかな。
それと、私が自分のことを真剣に考えることが出来なかったからだと思っています。なぜならば「思考が飛ぶ」この状態が長かったですね。だから本来の私がほぼいないのです。今ではこれが解離性障害(多分)ということを理解しています。
私は苦しみを、少なくとも緩和していた。なぜなのか。私の代わりに誰かが苦しんでいてくれた。「彼」しかいないね。ここではっきりさせたいのは彼が私に苦しみを与えているわけではないよ。彼が苦しんでいるのは斎藤1人さんの言うところの悪徳裁判官さんのせいかな。私の苦しむべきことを、ほとんどを彼が引き受けてくれた。そう考えるのはあまりに都合のいい考え方だろうか。
お待たせしました。数々の技術と知識を持って戻ってきました。遅くなってしまい申し訳ないです。長い時間がかかりましたが、でもこれだけの時間が必要だった。今が摘み頃食べ頃ですな(笑)。でも振り返ると結局の所、最短距離でここまで来たと思っています。それでは始めます。
著者の置口 空助さんに人生相談を申込む
著者の置口 空助さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます