クズ大学生が大阪ミナミで1000万稼ぎ、学生起業家へ。
そうして、スペインを後にし、もう一度オランダに寄り、
レッドストリートで世界中の男とアホみたいなスケベ面で共感しあい、日本に帰国しました。
この旅では、
物乞いや乞食、貧富の差、日本の豊かさなどを肌で感じ、
僕の五感はMAXに刺激されました。
海外の恐ろしさ、魅力、不思議、景色に魅了され、この後の学生生活を非常に豊かにしてくれました。
と同時に、金を稼げばこんなにも楽しいことができることの魅力にも気づいてしまいました。
もうそうなれば、「キャッチのうまみが留まることを知らない」といった感じでした。笑
そうして、人生初のバックパックの旅を終え、夏のバイク日本一周へ向けて動き出すのでした。
この出来事が、人生のターニングポイントになっていくのでした。
バイク日本一周
今回は、番外編・第二弾として2回生の夏のバイク日本一周について書いていきます。
この出来事で、僕の人生は大きく変わります。
1回生の秋に、地元のツレ2人と共に、「ビッグなことしたいな~」と話し合い、
「よし、バイクで日本一周行こう」と決意しました。
北は北海道、南は沖縄まで、2か月かけて全47都道府県を回ることを決めて、早速行動に移しました。
まずは、バイクの買い替えです。
250ccのビラーゴというアメリカンに乗っていたのですが、400ccのスティードに乗り換えることに決めました。
とりあえず目立ちたいということで赤色のボディにシートが迷彩柄というイキりまくっているバイクでした。笑
次にバイク旅をしている人のブログや記事を読みまくって、必要なもの、旅費を計算しそれに向けて、金を貯め始めました。
一丁前に、週1でMTをし、毎回500円貯金をしていました。
毎MTで、大阪からのルートを話し合い、ツーリングマップに書き込む。この繰り返し。
ルートが進むにつれてワクワクが膨れ上がっていきました。
そんなときでした。
2011年3月11日。東日本大震災が起こりました。
東北へのルートが遮断されました。
しかし僕たちは、下道を使って、被災地に赴くことを決めました。
クズなことしかしていなかったので、たまにはボランティアみたいなこともしようということでした。
そうして月日は流れ、出発まで2か月になったところでようやく全員のバイクがそろいました。
予行として、四国や琵琶湖へのツーリングをしたりして、テンションは最高潮になっていました。
防水のナビや、ETC、トランシーバー的なやつも購入し、金も貯めました。
あとは行くだけ!!!
入念な打ち合わせの元、ルートも決まり、旅立ちの日まで1週間に迫ったある日でした。
一緒に行くツレの1人で、地元で一番のクズから電話が来ました。
クズ「ごめん、日本一周行かれへんくなった。」
僕「え?!なんでなん?今どこおんねん?」
クズ「病院。」
僕「事故ったんか?」(いや、事故ってたら電話できへんか)
僕「バイク壊れたんか?」
クズ「いや、俺はかすり傷やし、バイクも無傷。」
僕「じゃあなんやねん?」
クズ「実は俺、免停くらってて、免停中に事故ってもうてん。」
僕「・・・。」
そうです。この場合99%免許取り消し。
僕らの中では3人で行かないと意味がないと思ってたので、こいつのせいで日本一周は中止になりました。
準備期間10か月。
使ったお金70万以上(バイク代含めて)。
貯めたお金50万。
旅立つ1週間前。
やってくれました。
今やから、笑えるんですが、その当時は本当に怒りと落胆と絶望でした。
ここまで読んでいただいた読者の方にも申し訳ないです。笑
ただこの出来事で僕の人生は暗黒時代に突入するので、引き続き読んでくださいね!
未練も残したくなかったので、バイクや備品はすべて売りました。
売りに行ったときにバイク屋の店主に、
「もしかしたら、行ってたら事故って死んでたかもしらへんし、まだ若いねんからこの先でも行けるやろ。」
と言われ、少し救われた気になりました。
そうして、心にポッカリ穴があいた僕に残されたものは、
2か月の休暇と80万ほどの金のみでした。
この2か月で僕の人生は狂い始めます。
暗黒時代に突入したのも、現在の学生ベンチャー代表をしているのも、この地元のクズのおかげです。笑
2か月の休暇
この2か月の中で僕が得たものは大きいです。それは、、
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