クズ大学生が大阪ミナミで1000万稼ぎ、学生起業家へ。
お金の大切さと怖さ。
人の欲深さ。
です。
2か月遊びまわる中でたくさんの人と出会い、たくさんの考えを知りました。
この時に感じたことや、なりたい将来像が今でも自分を構成する大部分を占めていることを考えると、この2か月はとてつもなく濃かったなと思います。
バイク日本一周が失敗に終わり、心にポッカリあいた穴を埋めるように僕は遊びまくりました。
毎日、大阪ミナミや北新地に繰り出し、金をばらまくように使っていました。
車で海やレジャーにも出かけました。
もともと物欲があまりないので、
とにかく毎日何かしらして遊んでお金を使っていないと気が済まなかったです。
そうして、アルバイトもせずに遊びまわっているときに、
自分のことを「カリスマニート」と謳ってイキり倒していました。
働いていないけど、金持ってるのがかっこいいと思っていました。
僅かな距離もタクシー乗るのがかっこいいと思っていました。
新地などで美味いもん食べて、キャバクラやラウンジで飲むのがかっこいいと思っていました。
大阪ミナミのクラブのVIPで女の子をはべらかすのがかっこいいと思っていました。
もちろん働いていないですし、このお金は貯めたお金なので、使えば消えていきます。
お金の儚さを知りました。と同時にお金の大切さも知りました。
出会ったばかりの頃、腐るほど金を持っていた人が2か月で破産していく姿も見ました。
この時僕は、なんでもおごってくれるええ人やなーとしか思っていなかったので、今思うと、、
あの時、僕の近くにいた人は本当の僕を見てくれていたのだろうか?
僕のお金を見ていたのではないだろうか?
と今になり感じ、お金の怖さも知りました。
ただ、この時はまだまだクズなので、よし!もっと稼いでもっと遊んだろーと思っていました。笑
単純です。
目的が旅に出るとか明確なものではなくなったので、どんどん心が汚れていっていました。
お金がないと不安でしょうがなかったです。
お金があっての自分だと思っていました。
この時ですね、キャッチの会社に入って本格的に金に溺れるという決断をしたのは。笑
夜の世界ももっと知りたい気持ちもあったので、バーで働こうとも思いました。
こうなれば、本当にクズ一直線です。
こうして、金と酒と女に埋もれながら過ごした2か月はあっという間に過ぎました。
2か月で100万近い金を使い切り、すっからかんになった僕は
さらにキャッチという仕事にしがみつくようになり、大阪ミナミの夜の街に染まっていくのでした。
大阪ミナミ ~キャッチとBAR~
2か月の休暇を終えた僕は、ミナミに住み始めました。
3LDKのマンションを2人でルームシェアしながら住むことになりました。
初期費用45万で、家賃は14万でした。
そして、バーのアルバイトも始め、
キャッチの会社に入社して、本格的にキャッチにも専念し始めました。
キャッチの会社では、新しくできる店舗のキャッチを個人店の時からの先輩と一緒に任されることになりました。
初めは、その会社で僕と同い年のやつはいなくて先輩ばかりで、強者の洗礼というか、化け物たちに、けちょんけちょんにされました。
客は取られる、無視はされる、で中々辛かったです。笑
ただ、「こいつら全員見とけよ」と逆にハングリーにもなりました。
もちろん優しくて良い先輩もいましたが、そういう人は大体キャッチへぼかったので、すぐに抜かしました。
早く、古株が卒業して、自分らの時代が来ることを願ってやまなかったです。笑
キャッチの会社に入ってよかったことは、店側がキャッチをかなり優遇してくれるところ。
ホールの子たちが、勝手に単価を上げてくれました。
前の店では、お客様を連れていくと、鬱陶しがられるのに、この店では喜ばれる。
同じ学生でここまでのモチベーションでやってくれることがすごい嬉しかったです。
ただ、そうやって僕たちによって忙しくさせられているホールの子たちの
5~6倍の給料をもらっていたので、よく差し入れを持って行ったり飲みに連れていったりしていました。
そうして僕のキャッチ会社でのアルバイト生活は始まりました。
ちなみに焼鳥屋のときの先輩はライバル会社に所属していました。僕の方が稼いでいましたが。笑
それと同時期にバーのアルバイトも始めました。
もともと、個人店でキャッチをしていた時の知り合いに紹介してもらって入りました。
僕は、地元のツレのクズじゃない方を誘って入りました。
そこのバーでも主にキャッチをしていました。
ここの給与体系は時給で1000円でした。
時給1000円もらいながらナンパできることが最高の幸せでした。
よくサボってクラブに行っては時給1000円もらいながらナンパしていました。
そしてナンパした子をバーに連れてきては時給1000円もらいながら、合コンしていました。
よくお会計が爆発して、朝方に女の子とATM行って金降ろさせていました。
最低のクズです。でもそれが水商売だと言い聞かせていました。笑
僕たち2人は各大学のツレや地元のツレを呼びまくり、20人くらいのクズ集団を組織しました。
オーナーに言って、無理矢理2号店もオープンさせました。
その時のバーの店長は、かなりキモかったですが、
みんなとアホやれてたので最高に楽しかったです。
ただ、この店長ダーツは化け物並にうまかったです。笑
毎日キャッチして、夜はバー出勤して、みたいな生活がスタートしました。
この時のクズ集団は今でも仲良いですし、そのうちの1人と仲良くなりすぎたことで、僕のクズっぷりに拍車がかかっていきます。
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