小学校教員が安定した職を捨て、家族を日本に残し、発展開発国に単身赴任した話(2)
憧れの小学校教員に!でも実態は……。
娘が小学校に上がるのと同時に、
私も晴れて小学校教員になれました。
娘を育てた経験から、
「子どもたちにはこういうことを教えたい!」
というものがありましたし、
つれあいが一足先に教員になっていたので
その様子を見ながら
「私もこんな学級経営をしたい!」
というものがありました。
ところが、実際に教員になってみると……
理想と現実のギャップにさいなまれることになります。
それでも1校目は良かったのです。
全校20名にも満たない酪農地帯。
素朴な子どもたちとお酒好きの保護者さんたちと、
仲良く楽しく過ごしました。
娘も同じ学校の児童として、
5年生までを過ごすことになります。
2校目は都会の端っこにある、
小中併置校に赴任しました。
ここでも児童・生徒は可愛く、
保護者の皆さんにはたくさんの協力をいただいて、
私は小学校教員と中学校教員(音楽)の
両方の経験をすることができました。
ただ、この頃から、
やけに書類が増えたなあという感じはしていたのです。
もともと体を動かすことが大好きな私、
もっと子どもたちと遊びたいのに、
休み時間も書類を書いて終わることが増えてきました。
そして3校目、
この都会の小学校に赴任したあたりから、
薄々感じていた違和感が大きくなっていきます。
私は何のために教員になったんだろう……。
著者の華 はなさんに人生相談を申込む