【蘇った愛♡私の孫はアメリカ人】〜命の数だけある命の迎え方・日本人バアバが見たアメリカ出産事情〜20万分の1の奇跡の物語☆
私は泣きそうになっていた。
すべてパーフェクトに動いている!
大丈夫!大丈夫!
ドクターはココに言った。
でも、無事に生まれるから大丈夫よ。
そう、この子は36週ですでに3300gくらいあるのではないか、と言われ、
40週まで待てば、4400gちかくになってしまうかもしれない、
ということで39週目の2月24日になったのだった。
ドクターと入れ替わりに看護婦さんが、ジャスティンに手術室に入るためのキャップ、ガウン、ズボン、靴カバー、マスクを持ってくる。
ジャスティンは、服の上から緑色の滅菌服を着込んだ。
いよいよ感が高まる。
8時48分
二人は手術室の大きなドアの中に吸い込まれていった。
手術室に入れるのは、一人だけ。
なすすべもなく、私は見送るしかなかった。
それでも私は嬉しかった。
何カ月か前までは、ココは私に付き添って欲しい、と言っていた。
でもその後、ジャスティンとココは一緒に暮らすようになり、
ココは彼に付き添ってもらいたい、と言い始めた。
まだ22歳の娘をシングルマザーにはしたくなかった。
たとえ結婚はしていなくても、彼がパートナーとして付き添ってくれることは、やはり母として、私は嬉しかった。
赤ちゃんに会えるのは、1時間後くらいだろうか?
私は案内されてリカバリールームへ向かった。
ここで術後の処置をし、少し落ち着いてから個室に移動することになっていた。
消毒液のにおいもなく、インテリアも洒落ている。
病院についた時には真っ暗だったが、
大きな窓からアリゾナの春の朝の光が差し込んできていた。
リカバリールームは、とても広くてくつろげる空間だった。
このゆったりサイズ、さすがアメリカだ。
特にここの病院は、フェニックスのスコッツデールという高級住宅地がある地域。
ここで出産を希望するセレブもいるそうだ。
娘は低所得者の保険で無料だが、もし自分で払うとすれば、合計200万円くらいはするはず。
普通分娩でも、1泊で約70万円くらい。
だから、みんな、出産後、1泊で退院してしまうのだ。
帝王切開でも保険が効くのは、3泊のみ。
日本だったら、二週間ちかく病院に居られるのに・・・
四日目には退院しなければならない。
それでもみんな、なんとかやっているということは
日本が過保護なのか?と思えてもくる。
私は、産院での自然分娩だったから、回復も早く、最初の子を産んだ時など、出産直後に、自分で歩いて部屋に行こうとして止められたくらいだった。笑
それでも、一週間は助産院にいられた。
上げ膳据え膳で、赤ちゃんと一緒に過ごせたあの一週間は天国だったなあ。
その後の子育ての大変さを思えば、そのくらい、甘やかされたっていいと思うんだけど。
それを想うと、アメリカはきびしい。
日本では、保険に入っていれば、お祝い金ももらえる。
アメリカは、なんにもない。
娘には、産休後、仕事に戻れるかどうかの保証もない。
アメリカが先進国だというのは幻想だ。
技術的には、確かに先進国だろう。
しかし、社会の在り方は、ある意味、後進国なのではないか?
60年代〜70年代のアメリカン・ドリームはすでに過ぎ去った夢物語。
今のアメリカは、民主主義ではなく、企業優先主義。
政府は、庶民より大企業を優先しているのだ。
ものすごく大金持ちか、ものすごく低所得であれば、恩恵を受けられる。
真面目に働いている中間層の一般庶民をサポートしていない。
日本も様々な問題はあるが、アメリカよりは一般庶民が暮らしやすい国なのではないだろうか。
私が日本で出産した時には、私は専業主婦で、それでも主人の給料の半分が支給され、経済的な心配のない状態で、安心して出産ができた。
それなのに・・・
娘には何の保証もない。
母親として胸が痛む。
しかし、無料で出産できたのは、それだけでも、ものすごい感謝だ。
先のことは、なんとかなるだろう!
リカバリールームで待っている私の脳裏には、娘を産んだ時の記憶が鮮明に蘇っていた。
私が二人の子どもを出産したのは、東京都杉並区にある黄助産院。
黄先生は、本当に素晴らしいお産婆さんだった。
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