僕と家族とひきこもり。悲しみの底で見つけたカウンセラーという生き方を目指した2190日。 その2

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あの日、「ひーちゃんが死んじゃったかと思った」と目を真っ赤にしていたおねえちゃん。


スイミングスクールでいじめられていた僕を助けに、バスに乗るときにそのいじめっ子に


ひたすらがんをつけて、守ってくれて、


毎年、なんだかんだ色々な服をくれたり、プレゼントしてくれたこと。


「うちの弟はいいやつなんだよ・・・、優しくていいやつなんだよ・・・。」って、

友達と居酒屋で号泣しながら、語ってくれたことを聞かせてくれたこと、


いろんな事を思い出して、ペンが進まない。


死にたい!と思ったのに、ペンが進まない。


涙で、紙に書いた文字がにじみ、こんなことを読んだら余計に悲しむと思って、


その紙を丸めて捨てた。


でも、もう苦しい、もうこんな生活嫌だ、、、。


家族にも迷惑を掛けたくない。


そう思って、僕は、カッターを左にとり、死のうと思いました。


でも、その左手が震えて、うまく持てない。


大粒の涙で左手がはっきりと見えない。


それでも、もう終わりにしようと思って、


右の手首を切りました。


その瞬間、激痛が走りました・・・。


「痛い!」


そう思って、浅い切り傷でカッターを投げ捨てました。


流れる血を見て、ティッシュで押さえ、


死ねないし、もう嫌だ!なんなんだよ!

って一人叫び、さらに泣き崩れました。


死ねないし、でも生きていたくもない、でも死ねない!なんだよ、なんでこんな涙が出てくるんだよ・・・。

ひとしきり泣いた後、

もっと、ましな人間になりたい。
こんな無価値な人間なんて嫌だ・・・。もう、こんな思いをするの嫌だよ・・・。
これ以上迷惑かけたくないよ・・・。誰かに必要とされたい・・・。こんな自分で誰かの役に立ちたい・・・。
ボランティアでもいいから、なんでもいいから、誰かの役に立ちたい・・・。

という、思いが湧き上がってきました。


そこで、僕は涙と鼻水をぬぐいながら、こんな決心をしました。


「もう、どうでもいい!もう好きなことやってから死ぬ!ダメだったら死ねばいい!」


と、そんなよくわからない決心をしました。


「今俺は何にもない・・・、無価値だ。でも人の役に立ちたい。」


「では、何ができる!?」といった時に思い浮かんだのが、キャリアカウンセラーのYさんや、母の本、助けを求めてくれた友人の事でした。


「仕事とか、抜きにして人と人として、人と関わる仕事がしたい。立場とか、そんなの関係なく。
 悩んでいる人の役に立ちたい。そして、人生経験を積んで、今度相談された時は、もっとましな人 

 になっていたい、そして今度あいつみたいに、悩んでいる人に相談されたら、応えられる人になりた  

 い。」


そんな思いが湧き上がり、そうなろうと決めました。


だから、まずは、出よう。


そう決めて、30歳までにカウンセラーになることをはじめ、

いきなりカウンセラーではなくて、社会人経験を積んでからなる事。

まずは、リハビリだと思って、1年はどこでもいいから働く事。

それが出来たら、転職をして営業とか人と直接かかわる仕事で、コミュニケーションを磨ける仕事に就く事など、色々なことを決めました。


決めてからは、早かったです。それから、もう何でもいいから求人を探しました。


社会人経験もほとんどなく、出来る事も何もない。だから、リハビリのつもりで、どこでも受かったら、入ろうと、そう決めて就職活動をしていたら、2か月後にすぐに決まりました。


初めての正社員で働くことになりました。そこはイベントの企画・運営会社で、事務職での採用でした。 ひきこもりを脱出して最初の仕事は、幕張メッセのイベントでした。そのイベントは何万人も来場があるイベントで、ひきこもっていた僕には、少々ハードルが高く、不安でした。


しかも、大声をあげて、来場者にプレゼントを配らないといけなくて、まじかよ・・・!と思ったのをいまでも覚えています。ただ、当日は必死でした。もうひきこもりとか考えてる余裕もなく、必死に働きました。


家族には、本当に迷惑をかけしましたが、就職が決まった時に、本当に喜んでくれました。


おねえちゃんに、「お前もやっと社会人だな」って言われたのを今でも覚えています。



・家族に手紙を送った日。


働いてしばらくしてから、家族に大変な迷惑をかけたので、


手紙を書こうと、そう思いました。


あの時みたいに、死のうと思った遺書のような手紙ではなくて、感謝の手紙を。


母、おねえちゃん、父、それぞれに手紙を書きました。


そして、直接「ありがとう」って言って、手紙を手渡しで渡しました。


母は、その場で手紙を読んでくれて、「ありがとう。」とそう一言いってくれました。


父は、手紙を渡すと驚いた顔をして、また母と同じく「ありがとう」と、そういって、


手紙を机のわきにそっと置きました。なんだ、すぐに読んでくれないのかと、


少しがっかりしましたが、後で母からこんな話を聞きました。


「ひとし、お父さん喜んでいたよ。一人で手紙を持って、そっと2Fに上がっていったよ。」って。


そう、父はシャイなんです。TV番組の”初めてのお使い”を一人で見て、泣いているくらいシャイな父なんです。

(そんな話を聞いて、ありがとうと僕は心の中で呟きました。)


さて、おねえちゃんは、もうそのころは結婚していた為、家にいなかったので、手紙を送ることにしました。


その手紙が届いた日が、ちょうどおねえちゃんの結婚式でハワイへ行く日だったのですが、


そんな日に届くなんて知りもしなかった僕は、朝、おねえちゃんからの着信が何度かあって、


その手紙がその当日に届いたのを知りました。電話口でおねえちゃんは泣いていました。そして、なぜか旦那さんも。


おねえちゃん
お前、何してくれているんだよ。お姉ちゃん今日から結婚式いくときに、読んだらダメだと思ったけど、お姉ちゃん読んじゃったよ。
顔がぐちゃぐちゃだよ・・・。これから行くっていうのにもう・・・。ありがとう。また後でね。

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