全くモテない19歳の女の子がいきなりオーストラリアに行ってそのまま永住し、イケメンと国際結婚して、ライフコーチになった話。第八回 イケメンボスニア人

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著者: Nori Kalember




Bosnian
ところで何歳ですか?僕今20歳なんです

え、若すぎる!


私はその時24でもうすぐ25になるところであった。4歳半の歳の差である。


年下。。。イケメン青年には悪いが、大学生で年下はさすがに社会人のおばはんには刺激が強すぎる。




Nori
私はたぶんあんたには年上すぎるわ。19歳のめっちゃ可愛い友達を紹介する
Bosnian
いやいや、紹介とかいいから今度は二人で遊びに行きましょう


といって私の連絡先を聞き、そのまま闇に消えていった。




年下のバリバリ水泳選手体型、美しすぎるバタフライ。電気毛布は謎であるがそれでも彼のイメージが頭の中にこびりついて消えなかった。毎日彼からの電話を待つ。



毎日毎日会社にいようが散歩に行こうが寝る前であろうがとりあえず彼からの電話を待ち続ける。



それでも彼からの電話は来ない。待てど待てど来ない。


三日たっても来ない。



こうなったら意地になる。



朝から晩まで彼の事ばっかり考えてとりあえず電話を待つ。


それでも電話はかかってこない。



やっぱり私が年上だからか?


そう思い諦めかけていたころ



Bosnian
日曜に空いてる?よかったらお茶しよう?



と電話がかかってきたのである。


のちに彼から聞いたのだが、これも作戦の一つだったらしい。




日曜日はイギリス人男性のロンドンデートと同じくらい緊張していた。何度も何度も念入りにお化粧チェック。爪もネイルサロンでしっかり仕上げてもらいデートに備える。





何度も書いているが、はっきり言って私はもう恋愛に疲れていた。




もう恋愛ゲームはしたくない。


イギリス人男性の時はお金持ちの彼に合わせてジャズ音楽を聞きながらホテルの最上階でカクテルをすすり、毎週5スターレストランで食事。


となると服もブランドしかダメ。こういう高飛車な人と付き合うのはしんどかった。



アメリカ人みたいにあまりにもコミットメントがないのも嫌。どこまで信頼していいかわからないのである。



私はここで賭けに出ることにした。



彼にはイギリス人男性の事から何から何までここに書いてることの全てを話したのである。


そして



Nori
こんな私が嫌ならお互い時間を無駄にするのやめよう


と最初からはっきり言っておいた。


よく恋愛本には「元カレの話はデートでしない」と書いてあるが、そんなもの糞くらえだと思う。こうやってちゃんと話をしておかないと後でだいぶ仲良くなった時にぼろが出て結局喧嘩することになるんだろうから。



とはいえ、初デートでそんな話するのはちょっとせかし過ぎだと思う。



ボスニア人青年はビビっていたが彼もいろんな話をしてくれた。



年齢の事も気になったが彼は全然気にしてかったので気にするだけ時間の無駄だと思うようになった。出会って2週間後には彼の両親に紹介されてしまう。

彼はかなり真剣だったようだ。



こうして私たちはほぼ最初から彼氏彼女になったのである。



海外の恋愛ではこういう形の始まり方は結構珍しいと思う。



そしてこのボスニア人青年との出会いがちっぽけな私の視野を広げてくれた。


ここに書いている通り、私の人生は喜怒哀楽以上に波瀾万丈だったように思う。


だが、実際私の人生なんて彼の生い立ちに比べればちっぽけすぎたのである



ボスニア戦争をご存じだろうか?


この青年はかなり裕福な家に生まれ育ったようである。


ところが1989年ごろだろうか、戦争が勃発したのである

戦争がかなり酷くなってきたため、警備が厳しくなり街から出ることが困難化していた。

毎日雨のように降ってくるミサイルから逃げるため、両親はなんとか怪しまれないようにとおばあちゃんに息子を連れて避難させ、自分たちもなんとか後から脱国することに成功し、セルビア、クロアチア、ドイツと転々とし続け、ついにオーストラリアから避難民として認められたため1995年にスーツケース一つ抱えてオーストラリアに避難することに決めた。


英語も全く話せない両親は一文無しからスタートし今に至るそうな。





私はこれを聞いてからかなり考え方が変わった。



家と呼べるところがあって、毎日三食食べれて、夜ミサイルの心配なく寝れて。。。


これって実は当たり前ではないのかもしれない。




このボスニア青年は私と出会い、彼は付き合って8か月目くらいで早く私を早く養いたいと思ったようである。


いきなり大学を辞めて国家公務員の試験に受けると言いだした。さすがボスニア人、頑固親父である。親の反対を押し切って、試験を受け、見事合格。


そしてシドニーへ7か月間のトレーニングに行ってしまったのである。

イギリス人男性の時にもう遠距離はこりごりだと思っていたのだが、まさか遠距離が来るなんて。。。


だが、二人で「やれるところまでやってみよう」という結論になり、とりあえず電話でやりとりをした。そして2週間に一回手紙が届く。


この時代に手書きの手紙が何よりも嬉しかった。



そんな時、私は仕事を失くしてしまう。


オーストラリアの公務員は給料はそこそこで仕事内容はとても楽だったのでとても気に入っていた。でも仕事が失ってしまった以上早く次の仕事を探さなければならない。



この時オーストラリアはとても不景気だったため私はなかなか仕事にありつくことが出来なかった。失業保険のようなものを頼りに生活し、なんとか生活を繋いでいった。



そんな時に私のボスが話していたのを思い出した。彼女の前も会社は待遇が良くトレーニングも豊富で辞めたことを後悔している、と。



私は失業保険をもらっている身である。もう恥もさらしもない。この会社を徹底的に調べ、私は自分の履歴書を持って会社のドアを叩くことにした。



普通ならば大企業でこんな事はあり得ないだろう。


だが私の思いが届いたのか、面接をしてくれることになった。



そして契約社員と言う形で私を雇いたいという。


3か月の失業期間を得て私は自分の働きたい会社で働くことが出来た。ボスが言っていたようにトレーニングが豊富で、金曜日の夜はみんなでBBQしたり、飲み会したりと本当にフレンドリーで楽しいかった。そして私の仕事はコンサルタントだったのでいろんな顧客のお世話をさせていただくことが出来、ネットワークも広がっていったのである。


最高すぎる仕事だった。お給料もボーナスもいただけ、顧客からはとてもいい評価を頂き、トレーニングをたくさん受けさせてもらい、言うことはなかった。



ボスニア人青年との恋愛だが、彼といると何もかもがスムーズに事が進んでいくのである。お互い押し付け合うことも、無理することも、演技することもなく、ただ自然体でいれる。確かに遠距離恋愛ではあったが、二人とも背伸びすることも、無理することなく、ただ自然に時が過ぎていったというのが一番正しいのではないだろうか



そう思うと、なんかちっぽけな事で悩んでいる自分があほらしく思えて仕方がなくなった。

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