最近よくあるヤンキーがなぜか勉強する話

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あっけなく3か月という短い期間で

ダンス部の生活を終えました。






しかし後に、

ダンス部をやめて後悔することは一度もありませんでした。






ダンス部を辞めてからは、

アルバイト生活が始まります。





学校が終わってすぐアルバイトへ行き、

休みの日もほとんどアルバイトをしていました。






私は中学時代と同様

アルバイトで稼いだお金、お年玉を

ほとんどファッションのために費やしていました。(給料日の次の日には給料が全てなくなるというのも多々ありました)


その後の生活はとても辛かったですが。





それはさておき、

ダンス部を辞めてからは

自分の時間が増え、

友達ともひたすら遊んでいました。




当時私はバイクに乗りたかったです。

しかし私の親がそんなこと許すはずがありません。


バイク乗りて〜
父さんにゆいね〜


父の許可が要ります。


父さんバイク乗りたい。
ダメ。



このとき再び思いました。



他の家庭が羨ましい。



確かに普通科進学校に通っているような子が

バイクに乗りたいというと

たいていの親は止めるでしょう。



しかし私の通っていた学校の友人のほとんどがバイクに乗っていました。

お金がないから乗れないというような子はいましたが。


友人ともバイクの話をよくしていました。

友人
智也は免許とらんの?
いゃ〜金がねんよ。




私は一度も事実を言いませんでした。



中学校からのことですが

私は自分の家が厳しいと思われるのが嫌でした。




嫌われるかもしれん!

と思っていたのかもしれません。(←変人ですね)

正直自分でもよくわかりません。



こんな会話もありました。

友人
免許とらんのん?
おとんの弟がバイク事故で死んだけ乗りたくねんよ。

とんでもないですね。

父に弟もいません。

ましてやバイクに乗りたくないだなんて。笑



しかもそんなことを言いながらも友達のバイクには乗せてもらってました。




しかし当時の私は

本当に家のことが知られたくなかったんだなと思います。



私は”変わった子”だったと思います。

常に周りとは違った価値観を持っていたいと思っていました。



私は三代目JSoulBrothersの岩田剛典(がんちゃんと呼ばれている人)が大好きでしたが、

徐々に人気が出てきたため好きじゃなくなりました。

みんなが好きなものを好きでいることが嫌でした。



また、髪型やファッションもそうでした。

絶対流行りにはのりたくないと思ってました。

特に高校時代には髪型を誰よりもかえたと思います。




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