子どもを亡くして社畜をやめた話②社畜ライフ

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著者: 中野 ガンジー

子どもを亡くして社畜をやめた話②社畜ライフ



会社について

おれはその頃
とある中小企業の営業担当だった

その会社は業界の中でもニッチな商材に特化しており
少しでもその商材に関わった事があれば
まず知らないという人はいないが
商材自体の社会的認知度がそれほど高くない為に
会社名を言っても
ほとんどの人が「?」となる
そういう会社である



例え話をすると



「伊藤壇」



というプロのサッカー選手がいる


この選手は
Jリーグを経てから
日本以外のアジア諸国のプロリーグでプレーをする
という選択を取った第一人者で

海外のマイナーなリーグで活躍する日本人サッカー選手をチェックする
という趣味を持っている人であれば
知らない人はいない選手なんだけど

そもそも

海外のマイナーなリーグで活躍する日本人サッカー選手をチェックする
という趣味を持っている人自体が少ないので
この話を読んでいる人の中でも
「伊藤壇」
と聞いて
すぐにピンと来る人はほとんどいないのではないかとおもう




そういう認知度の会社である




おれが所属していた部署はそのニッチな商材に対して
さらに特定のニーズを持った顧客にターゲットを絞り込み
専用にカスタマイズされたサービスを売りに商売をしていた


その為


営業といえど相応の専門知識が必要で
技術革新が著しい分野でもあり
またイレギュラーが多い商材であったので
それだけ情報の咀嚼に時間を必要とし
外回りの営業活動と合わせると
日々の業務が長時間化する素地は十分にあった


有意義な仕事

しかし「社畜」というからには
おれも自ら進んでその方向へと向かっていたわけで
実際に仕事は楽しくやりがいのあるものだった


専門性を有し複雑な商材を扱う
ということだけでも


誰でもいい
どこの会社でもいい
というわけではなく
おれでなければならない
ウチの会社でなければならない


と思えていたし
それが自分自身を恍惚とさせる一因となっていた


より複雑で難易度が高いプロジェクトに携わる為に
日々専門知識の習得に勤しみ
また社内での立場を確保しようと躍起になった


あの頃は
会社や自身の部署に属することが
ある種の誇りになっていたし
その組織の中で成功することこそが
人生における第一義的な目標だと思っていた




自然とおれの生活と精神は会社へと傾倒する



社畜ライフ

その会社には中途での入社だったのだが
入社して間も無くから
退社時間は23時を越え
そのうちに24時になり
入社して半年も過ぎた頃には
週の半分は帰宅せず
夜中まで仕事場にいて
睡眠は自分のデスクか漫画喫茶やカプセルホテルでとり
土日のどちらかは休日出勤となっていった

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