『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第13章「いざ、飛躍の年」

前話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第12章「イラストマップの人、と言われる」
次話: 『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第14章「厳しくなる仕事状況と、道半ばの別れ」
著者: かぶらぎ みなこ

その1「桜の京都で巡回展」

4月の始め、桜が満開の京都で
「シモキタ スタイル巡回展」が行われました。
場所は今はもう閉校してしまいましたが、パレットの
京都校にあたる、インターナショナルアカデミー
と言う、五条大橋付近の場所でした。

京都は中学校の修学旅行の時以来です。
スタッフの方々に宿を取って頂いたり
、色々お世話になりながら、また夜行バスに乗って
出発しました。期間中は森本美由紀先生を含む、
出品者全員でのトークショーが行われたり、
東京からも駆けつけて下さるお客様がいるなど、
満開の桜の花に負けず劣らずの華やかな
展示会となりました。

華やかだったのは、この展示会だけではなく
直前にコンペで準入選の知らせを受けた
私の心の中も同様でした。
ただひとつだけ難を言うと、この時期の
『イラストレーション』誌は、まだ判が小さく
モノクロページも多い創りでした。
なのでカラーで大きく掲載される入選作とは違って、
準入選の作品は小さく縮小され、しかも
モノクロのみの掲載。だからきっと本に載っても、
作品の持ち味は全く伝わらないと思いました。

それでも初めて大きな賞を頂いた事と、
選んでくださった審査員の方が以前から
大好きだった画家のY口さんだった事、
それだけでもう十分でした。

楽しい京都の思い出と共に帰宅し、10日ほどが
経った頃、再び『イラストレーション』編集部の方から
連絡を頂きました。
その内容は…「かぶらぎさんの受賞作で、特集を
組もうと思っています」と言うものでした。
その突然の申し出に、一番耳を疑ったのは他ならぬ
描いた本人だったかもしれません。


その2「憧れの『イラストレーション』誌で特集される、運よく」

業界きっての専門誌、『イラストレーション』に
掲載される事は、イラストレーターの卵にとって、
ものすごい憧れであると同時に、一つの夢
でもあります。しかし当然ながら、掲載されるのは
第一線で活躍する人ばかり。
なので相当、敷居が高い本でもあります。

実はポスターの仕事をした時、その作品が
初めて本誌に掲載されて、密かに喜んで
いたのですが、今度はまさかの個人特集です。
しかも6ページも。
入賞した人でさえ、特集なんか組まれる事は
ないのに、なぜ準入選の私が?本当に私で良いのか?
と、沢山の疑問と混乱の中「どうか編集部の人たちの
気が変わりませんように…」と、ずっと祈りながら
自宅で3時間に渡るインタビューを受けました。

こうしてこの年の5月末、「絵地図狂」と言うタイトルの
特集を組まれた『イラストレーション172号』が
発売されました。この特集、企画当初は
「イラストレーションマップの魅力」と言う、
爽やかなタイトルだったのですが、ふたを開けたら
なかなか迫力のあるタイトルになっていました。

この特集が掲載された直後、本当は大喜びして
周囲に触れ回りたくて、仕方がありませんでした。
長い時間をかけて、ずっと頑張って、ようやく
日の目をみた憧れの舞台です。
だけどあえて発表されるまで、ほとんど誰にも
告げずにいたのは、私自身が今まで、
周囲が華やかに活躍している時、ずっと
悔しい思いをしてきたからです。
だから周りも、素直に祝ってくれる人だけではない、
と思っていました。

屈折しているかもしれないけれど、ここは
みんなが真剣に向き合っている、かなり
シビアな世界です。
仲間も出来るけれど、その逆もまたいます。
今日は華やかな場所に立っていても、1年後は
ここにいないかもしれない。だからです。

でも特集を組まれた時、そしてその後は
「一つ上のステージに上がった」感じがしました。
すごく重い扉を開けて、ようやく頭一つ
上に出た感覚です。
そしてその新しいステージには、既にもっとすごい
レベルの人たちが、沢山ひしめいているのですが、
それでも「一つ上」に上がることが、どれだけ
難しくて厳しいものか。

技術が高いだけでもダメだし、運がいいだけでも
続かない気がします。ただそこでは、明らかに
周囲の反響が違いました。
今までずっと私は「無名の人」扱いで、いつも
静かにギャラリー巡りをしていましたが
今度は行く先々で、ギャラリーのオーナーさんや
出会った人たちから「特集見ましたよ」と、声を
かけられるようになりました。
とりわけイラスト業界の方々からの扱われ方が、
急変した気がしました。みんなが、優しい…。

それだけ雑誌に「特集」される事の威力は、
すごいものなんだなと痛感しました。
確かに普通に考えたら、特集される様な人は、
それなりに活躍して実績を残している、
文字通り「すごい人」だから。

けれど私の場合は…実は偶然が偶然を呼んだ
に過ぎなかったらしいのです。
審査員だったY口さんは、歴代審査員の
中でも一番スローペースで審査をした方
だったそうです。速い人は3時間ぐらいで
終了する所を、Y口さんは一枚一枚を丁寧に
見続けて、その結果、審査は真夜中までかかったとか。

それは想像するだけでも大変な事です。
そしてそこに同席する編集部の方々も、また大変です。
待っている間の時間つぶし…と言うわけでも
ないんでしょうけど、そこにちょうどいい塩梅に、
細かいマップの作品がある。ついつい見入って
時間をやり過ごす内に、誰かが「でもこれ、
準入選だったら掲載されても、ほとんど線が
潰れちゃうからもったいないね」と言い出したそうです。

そしてそれが「では特集にして大きく載せて
みましょう」と言うきっかけだった…と、後に
編集部の方から聞きました。
「Y口さんがスピード審査の方だったら、選ばれては
いたとしても、特集は無かったでしょうね」と
ズバリと言われ「なるほど、やっぱりねぇ」と、
思わず納得した次第です。


その3「マップが仕事になる」

この年の夏、1年間、街紹介のサイトに投稿し続けた
某鉄道会社から「イラストマップを見たので」と
仕事の依頼が来ました。
内容は公園内で行われるイベントのために、
公園マップを描くと言うものでした。
出来上がったチラシは、沿線各駅に配られ
またポスターやイラストが入ったピンバッチも
作られました。

そしてこれは、イラストマップが初めて仕事に
つながった事例でもありました。
地図を正確に描くために、気温35度を超える
猛暑日に、ヘトヘトになりながら数時間
公園を歩いたりもしましたが、それでも
大きなお仕事だったので、やりがいはありました。

そしていざ完成すると、やはり反響が
大きかった事を覚えています。けれど
その割に、やや原稿料が安かったのも印象的。
「色々台所事情があるので」と先方に言われ、
更に「次回も仕事を組みたいから、今回は足がかり的な
意味でこの金額で」と言われて妥協しました。

確かにクライアントさんが良質な相手で、大きな
お仕事に繋がる可能性がある場合は、上手に
付き合いたいのが心情です。
だから「また次があるなら」と思ったのですが
結局、次の仕事は何も連絡がないまま、
頂けませんでした。悔しいかな。
イラスト仕事の華やかさと、足元を見られがちな
フリーランスの弱さを、同時に体験した
出来事でもありました。


その4「ペチカ・イラストスクールと線画の日々」

この年の夏の初め、原宿のあるギャラリーに
立ち寄った時、たまたま今度そこで主催する
イラストスクールの応募要項を目にしました。
それは某出版社のデザイナーさんを講師に迎えて、
装丁レッスンを行うと言うものでした。
その方はHさんと言い、手掛けた数々の
装丁作品はどれもセンスがあって、素敵なイメージ
だったので「抽選みたいだし、せめて応募だけでも」と
割と軽い気持ちで、審査用の作品ファイルを提出しました。

しかしこの頃の私は、仕事に展示に特集に…と、
次々と妙な勢いがあったせいか、倍率3~4倍と
言われた応募人数の中で、運よく選んでいただけました。
かくして「ペチカ・イラストスクール1期生」として
レッスンを受けに毎週ギャラリーに通う事になります。

けれど最初の授業が行われた時、受かった人たちの
あまりのレベルの高さに衝撃を受け、そのまま
「逃げ出そうか」と青くなったのも事実です。
そんな具合に、勢いに乗じて足を踏み入れた
新しい世界でしたが、ここで学んだことは
色々な意味で大きかったです。

ひとつは前述したように、参加者全員(12名)
のレベルが格段に高かったこと。
技術も、イラストに対する考え方も、そして
仕事に対する真剣さも。みんな、ものすごく
高い意識で『イラストと言う世界』に向き合って
いる事が伝わり、それはいい意味で刺激になりました。

ふたつめは、Hさんに「アクリル絵具よりも
ペンで描いた線画の方が、生き生きしているね。
仕事をする上ではこちらの方が、安定していて
向いているかもしれないよ」と、アドバイスを受けたことでした。

そして最後は自分より歳が10歳も若い
人たちが、もう第一線で活躍している状況に
なってきていると言う現実を、突きつけられた事でした。

これは新たな焦燥と言うか、驚異でした。
今まで周りは年齢的にも、技術的にも、上の方ばかり。
「頑張ればいつか、私もああいう風になれるかも」と
信じて、上だけを見て歩いてきました。

けれど、気が付いたら10歳も若い子達が、
自分よりも高度な技術を身につけて、もう第一線で
頑張って活躍している。イラストの世界は、
努力だけではなくて、技術や才能がものを言う
場所です。「才能がある子は、イラストレーターになって
すぐに、どんどん仕事が取れている。もしかしたら自分は、
このレベルでもう限界なんじゃないか?」

ずっと上に伸びている階段を、時間をかけて
上がっている感覚でいたけれど、ここでまた
その階段に天井があるのを見た気がしました。
しかしこの時感じた『限界』は、今までの
悩みや不安と言ったそれとは、少し毛色が
異なっていました。年齢的にも状況的にも、どこかで
限界を悟って、方向性を考え直す必要があるんじゃないか。
そう言う、より具体的な感触でした。

そう言えば周囲では、もっと早い時期に
それを察してイラストの仕事から身を引いた
人が何人もいました。私は…気が付くのが遅かった?
でもその反面「いや、まだまだ可能性はある。やるべき事は
あると思う」と言う気概だけはもっていました。
それでも、じわりじわり…と、自分の力の限界を
イメージし始めたのも、このスクールに通ってからでした。


その5「装丁とイラストレーション展」

Hさんとペチカ・イラストスクール1期生の面々は、
とにかく勢いがあって仲が良かったため、当初
予定されていた授業だけで終了するのが、名残惜しくなり、
授業終了後は「展示会をしよう!」と言う運びになりました。
こうして、この年の11月「装丁とイラストレーション展」と
言うテーマのグループ展を開催しました。

この展示はHさんの知名度のお蔭もあって、非常に
多くの方が来場してくださいました。こんなに勢いがある
展示会は初めてと思えるぐらい、名刺を作っても、作っても
あっという間になくなってしまい、本当に
「飛ぶ鳥を落とす勢い」とはこの事か、と思いました。
なにせ地に足つけようにも、その流れの速さについていけず
巻き込まれている様な感じでした。

けれど同時に、展示でメンバーの作品を
ずらりと並べた時、みんなと自分の実力の差が、
はっきりと露呈したのも事実でした。

「デッサンを、もっとしっかり学んだ方が良い」と言う
アドバイスを、展示を見に来た友人から受け、
その後、数回に渡りクロッキー教室やデッサン教室にも
足を運んでは、自分の弱点をもう一度見直しました。
この時期は本当に勢いがありました。だけどそれは
精神的には『3歩進んだら2歩下がる』ような、そんな
もどかしい歩みでもありました。


その6「華やかなりし、イラストレーションの世界」

この年は本当に、やる事なす事が大きく当たり、
動けば動くほど人脈が広がると言う、不思議なぐらいの
「当たり年」でした。出会う人たちの活動レベルも高く、
お付き合いをする毎に「毎日きちんと作品を描かなければ」
と、自然と意識も高まりました。

その華やかさの極めつけは、イラストレーション誌が
主催した誌上コンペ「ザ・チョイス」の授賞式で、
憧れのY口さんと出会えた事でした。
授賞式自体にも、参加するのは今回が初めてでしたが
レセプション会場は、ものすごく豪華絢爛な世界でした。
華やかで賑やかでキラキラしていて、そしてイラスト関係者
(イラストレーターはもちろんの事、デザイナーさんや
ギャラリー経営者、出版関係の方々、画材会社の方など)が
大勢参加しています。
まるで『イラスト版宝塚の世界』のような眩さ。
「イラストの世界に、こんな華やかな場があるなんて…」と、
まさに目から鱗の想いでした。

この世界に、いつもいられる立場になれたらいいな…。
そしてY口さんにも直接、準入選に選んで頂いた
お礼を伝える事が出来、まさに感無量です。
憧れの画家さんと、このような形でお話しする機会が
得られるなんて「私、イラストレーターで良かったなぁ!!」と、
心底思えました。

活動を初めて13年、今まで憧れていただけで
知らなかった「一つ上の世界」を束の間、垣間見たような
一年でした。とても華やかで楽しかったけれど、反面、
雑誌に特集されたイメージが強すぎて、その後長い間
『地図の人』と言う、変なイメージがついてしまった年でも
ありました。

あまりにも強く固定されたイメージは、良いようにも、
悪いようにも作用します。例えば装丁の仕事がしたくて
営業に行っても「ああ、あの絵地図の人か!無理に
装丁を志さなくても、絵地図の分野で活動してみたら?」と
言われたこともあり、戸惑ったのも事実です。

絵地図の作品が認められたのは嬉しいし、それが
仕事や人の役に立つための作品として、近道なのも
わかるけれど「私が本当に描きたい世界観は別にあるはず。
絵地図と両立して、どうやってそれを周囲に伝えれば
いいのか」を、今度は模索し始めました。

このまま単一のイメージで、固まってしまうのが
怖かったのかもしれません。
一つ上のステージに立てた時、また新たな
葛藤が生じました。


著者のかぶらぎ みなこさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

『イラスト奮闘録。イラストレーターになりたい、と走り続けた日々の物語』第14章「厳しくなる仕事状況と、道半ばの別れ」