種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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著者: 円山 嚆矢

「でも、そんなに長い時間をかけて影響してくるものについて、因果関係なんて立証できるんですか?」

「そう、そこが問題。明らかに体に毒で、例えば乏精子症に影響する蓋然性が高い、ということはわかっても、人は放射線、電磁波、食品化合物などなど、農薬以外にも生殖機能を低下させるあらゆる社会毒にさらされているわけだから、そこから農薬だけを抽出し、どれだけ体内に摂取したかなんて正確に調べようがない。訴訟を起こしても勝つだけの証拠を揃えることはできっこないんだ」

 

 中学時代に教わった「水俣病事件」を思い出す。被害者の死因と有機水銀の直接的な因果関係を立証できず、裁判は長期に及んだ。

 

「繰り返しになるけれど、医薬品なら患者の症状を医師が診断し、処方する。それをさらに難関国家試験を突破した薬剤師が慎重に調剤し、患者に効果や副作用の詳細な説明もする。かたや農薬は、そこまで厳密な説明がなされていないんだ。うちの兄は農家だが、明解な営農指導ができる農協職員はめったにいない、といつも嘆いているよ」

 

 先生の熱弁は止まらず、鬼気迫る表情に打たれたボクは、まずは半信半疑ながら、自分なりにこの問題を調べてみることにしたのだった。もしかしたら不妊を解決する糸口が見つかるのでは、というかすかな予感にしがみつく意味もあったことを付記しておく。

 

種(精子)を殺す悪魔の農薬「ネオニコチノイド」

 

 何から調べるか、と思いながら先生のブログを読んでいると、「ネオニコチノイド系農薬によるミツバチ大量死問題」というテーマが繰り返し出てくることに気づいた。現在ではようやく社会問題化しつつあり、メディアでも少しずつ報じられるようになってきたが、当時、この問題に触れる主要メディアはほとんどなかった。

 

ボクは当初、「ハチが死んだくらいで、何をそこまで大騒ぎする必要があるのだろう?」と脳天気に考えていたが、調べるごとに、この問題の深刻さ、闇の深さを理解していった。

 

カボチャ、キュウリ、タマネギ、トマト、レタス、ブロッコリー、リンゴなどなど。ボクたちの日常の食卓に欠かせないあらゆる作物は、ミツバチの受粉行為があって初めて栽培できる。つまり、このミツバチが死んでしまえば、増加が著しい世界人口を支えるための食糧増産に対応できない、という事態に陥るという、地球規模の大問題だったのだ。海外研究者の論文によれば、ネオニコチノイド系殺虫剤(ネオニコ)により2007年春までに、北半球の4分の1のミツバチが消えてしまったという報告もある(Jacobson, Rowan Fruitless Fall: The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisis 2009)。

 さかのぼって調べていくと、ネオニコは1990年ごろに開発された比較的歴史の浅い新農薬で、タバコに含まれる「ニコチン」の成分に似ているため、「新しいニコチン」として名付けられたとか。良薬は口に苦し、とはよく言ったもので、農薬も効果が高いものほど重宝される反面、毒性も高くなるようだった。実際、ネオニコが登場する前に主流だったという「有機リン系」の農薬については、無人ヘリでの散布を自粛した結果、群馬県で過敏症患者が大幅に減ったというニュースもあった(2007131日付の毎日新聞朝刊『有機リン系農薬:無人ヘリ「散布」自粛の群馬県、過敏症患者が大幅減』)。

 

 さて、ネオニコは有機リンより少量でも浸透性が高く、効果が長く持続するため、爆発的なヒットになったという。農場だけでなく、住宅建材(断熱材、フローリング剤、接着剤への混合などなど)、家庭菜園、家庭用殺虫剤、ペット用ノミ退治、シロアリ駆除など、日常生活のあらゆる場面で活用されるようになり、揮発性があるためシックハウス問題とのかかわりも指摘されている。

 このように世界のあらゆるところで使用されるようになった結果、巻き起こった象徴的な問題が「ミツバチの大量死」だったということだ。それも、有機リンと同じ作物、同じ場所で使用しているにもかかわらず、このネオニコに切り替えたとたんに、ミツバチが大量死するという怪現象が世界中で起こり始めたという。事態が深刻になり、養蜂家も一致団結して、まさに蜂起。フランスでは訴訟が起き、2006429日、フランス最高裁判所が歴史的な判決を下し、ネオニコ系の某殺虫剤を国内で使用禁止とした。

 

 判決の瞬間、フランス中の養蜂家たちは「ブラボー!」の雄叫びを上げ、歓喜にわいたそうだ。この裁判の経緯を追って、ボクは感動してしまった。農薬と不妊の関係性と同じように、ハチの大量死とネオニコの間に、決定的な根拠を見出すのは困難を極める。しかし、フランスの養蜂家たちは10年にわたり地道な検証と訴えを続け、状況証拠から裁判所の決断を引き出したのだ。

 これは世界的な大ニュースのはずだが、日本の主要メディアによる報道は、あまりにも少なかった。これを考えると、先生の怒りにも似た熱弁にも納得せざるを得ない。「可能性」だけでも報じる価値がある健康被害への懸念より、巨大な資本を持つバイオメジャー企業への忖度が勝っているように思われるからだ。

2013年には、EUが主要ネオニコ3剤を2年間の使用禁止にするなど、世界各国で規制や検証の動きが進んでいるにもかかわらず、日本ではフランスの判決から10年経った2016年の811日、朝日新聞朝刊も『大量死ミツバチから農薬 農水省、ネオニコチノイド系含め「原因の可能性高い」』と報じるにとどまっている。

再三言うように因果関係は明らかではないが、このような状況が、EU各国と比較して日本人男性の精子数が少ないことと、まったく無関係とは思えなかった。

 

 ボクがネオニコについてひととおり調べてきたあと、先生はこう説明した。

 

「ネオニコはニコチンの仲間なわけだから、生殖機能にも悪影響があるのはわかるでしょう。妊婦にタバコを吸わせないというのは、いまや常識。ニコチンは胎児、幼児を含め、細胞分裂が活発でアクティビティの高いものにもっともダメージを与える。乱暴かもしれないが、あえてわかりやすく言うと、ネオニコの残留作物を毎日消費していたら、子どものころからずっとタバコを吸っているようなものだよ」

 

 実際、この「種ナシ・農薬原因説」を裏付ける、アメリカの研究結果も発表されている。2015331日に、英学術誌『Human Reproduction』に掲載された、米ハーバード大学の研究チームによる論文。これによると、研究はまだ初期段階であり、さらなる調査が必要だという前提ながら、残留農薬が高レベルの果物・野菜を大量に摂取していた男性は、低レベルの男性より、精子の数が49%少なかったという(07年~12年にかけて、不妊治療施設を訪れた1855歳の男性155人から採取した、計338の精液サンプルを分析)。摂取残留農薬が「低」と「中」のグループ比較では、主だった違いは見られなかったそうだ。

 

 「残留農薬」というキーワードで日本の状況を調べてみると、また絶望的な気分になる。厚生労働省は、僕たちが農薬を体内に摂取しても、これくらいなら安全だという指標として、作物ごとに「残留基準値」というものを設定している。しかしこれが、海外に比べて極端にユルいようなのだ。作物と農薬の種類によっては、アメリカと比べて最大25倍、EUと比べて300倍という高い数値のものもある。こんなこと、まったく知らなかった。

 そして20155月、世界の潮流に逆らい、日本ではネオニコ系殺虫剤の残留基準値が大幅に緩和された。驚くなかれ、作物によってはなんと2000倍の緩和だ(具体的にはカブの葉)。ミツバチ問題で海外での売上を落としたバイオメジャー企業にとって朗報だったのは言うまでもなく、既得権益を守るために何らかの政治的な力が働いたのでは……と勘ぐってしまうボクがいた。

 

「虫は殺すけど人には一切効かない」という大ウソ

 

 ネオニコについて徹底的に調べていくうち、誕生から四半世紀をかけて、やはりそれは「悪魔の農薬」と呼べるものに化けたのだと、恐怖を感じるようになった。90年代初頭においては、「有機リンよりも毒性が低く、昆虫は殺すが人体に影響はない」という謳い文句で世界市場を席巻したが、実際には、ネオニコは「浸透移行性」が高く、つまり根から吸い取った薬剤が作物の茎や葉、実などに浸透してしまうため、有機リン全盛の時代に言われた「よく洗って食べる」という対策が通用しないのだ。

さらに近年では、人間の脳への影響も懸念されるという事態になっている。2010125日、AFP通信は「農薬は認知症リスクを増大させる、フランス研究」という記事を配信し、また日本でも、201412日に日経新聞が「ミツバチに毒性懸念の農薬、人間の脳にも影響か」という記事を掲載した。

 

 事実を淡々と並べる以外に警鐘を鳴らす術がなく、物語をなかなか進められず恐縮だが、2012年には全米の小児科医全員が加盟する「米国小児科学会」が、「子どもへの農薬曝露による発達障害や脳腫瘍のリスク」について実に228編もの論文を引用した正式声明を出し、その危険性を訴えている。しかしこのニュースも、国内主要メディアは報じていない。

 

 調べてみれば、「脱・ネオニコ系農薬の米」を標榜した栃木県小山市「よつば生協」の取り組みや、九州・中国・関西にある14の生協で構成される「グリーンコープ共同体」の減農薬、無農薬商品の積極的な販売など、日本でも地域単位で素晴らしい仕組みがつくられているが、いまも決して全国的に認知された問題とは言えない。

 

 図書館で過去の新聞を紐解き、ネットで海外ニュースを当たりながら、深い溜め息をこぼす。ふと「農薬」を和英辞典で引いてみると、「Pesticide」(ペスティサイド)とある。「Pest」は「虫」を、「Cide」は「殺す」を意味し、つまり虫を殺すもの、簡単に言えば「殺虫剤」という意味だ(「suicide/自殺」の「cide」である)。「農薬」という言葉では、本来のイメージが伝わらない。そんなことを考えながら、本書の副題である「オレの精子を返せ!」という気持ちが、猛烈に湧き上がっていくのを感じていた。

 

少子化克服のフランスと露プーチン大統領の決意

 

 本章の最後に、より直接的に不妊につながるデータを紹介する。先生のブログにまとめられていたところによると、農薬使用量が多い国ほど、不妊率が高いということだった。

 OECD(経済協力開発機構)の統計によれば、単位面積あたりの農薬使用量は2006年ごろまでは、日本がブッチギリの一位。その後、2008年にようやく韓国に追い抜かれて世界二位になったが、まだ僅差だ。アメリカの約7倍、フランスの約3倍と圧倒的な差があり、日本がいかに、農薬を大量に使用している国かがわかる。

 

 日本と韓国は、世界を代表する不妊・少子化国だ。出生率は2015年時点で、日本が1.42人に対し、韓国が1.24人と、韓国が0.18ポイント下回っている。そして、韓国では近年、男性不妊患者の増加傾向が顕著であると、公的なデータで明らかになっているのだ。

 

 2015220日付の中央日報日本語版記事「韓国の不妊症患者20万人…男性が7年間で67%増」によると、同国保健福祉部の調査で、2007年に178000人だった不妊患者の数は、2014年には約208000人と、約16%増加したという。記事タイトルのように、特に男性患者数は28000人から44000人と、約67%もの増加を見せている。

注目すべきは、2007年から2014の間に男性不妊症が急増している、という事実だ。つまり、韓国が日本を抜いて農薬使用量世界一に躍り出た2008年以降、という時系列とドンピシャで重なる。このまま韓国の少子化問題が解決しなければ、その人口は2136年に1000万人まで減少し、2750年でゼロになるおそれがある、という見通しまで、2014年に発表されている(韓国・国会立法調査処)。自国に警鐘を鳴らすための極端な推論ではなく、2006年段階で、実は、英オックスフォード大学のデビッド・コールマン教授も「韓国が、少子化が進んで人口が消滅する地球で初めての国になるだろう」と予測していた。

 

 一方で、日韓と対称的なのがフランス・ロシアだ。フランスは先進国のなかでもっとも早く出生率が低下した国とされ、18世紀には欧州最大の人口を誇ったにもかかわらず、19世紀に入り、少子化に苦しんだ。しかし、現在は見事にこの問題を克服し、出生率は1994年の1.66人から、2012年には2.01人まで回復している。

 もちろん、フランスには所得制限のない家族手当や、不妊治療費補助など公費によるサポートがあり、事実婚・嫡外子の権利も保障され、余暇保育も充実していて……と、出生率を高めるさまざまな方策がとられているが、同時に、国家が総力を挙げて、減農薬政策に取り組んできたことも見逃せない。ネオニコ系の殺虫剤を例に取れば、段階的に特定の薬剤が販売停止となり、2018年には一部の例外を除いて全面禁止。2020年には、ネオニコ系の殺虫剤は例外なく全面禁止になることが決定している。さらには同2020年、一部の例外を除く緑地・森林・パブリックスペースでの農薬使用を禁止、2022年には家庭菜園(非農耕地)での農薬使用を全面禁止にするという。つまりフランスは、「農業ビジネス以外での農薬使用を全面禁止した、世界初の国」になるということだ。

 

 ロシアにおいては201512月、海外メディアが「ロシアは世界一のオーガニックフード輸出国になる」という、プーチン大統領の発言を大きく報じた。日本と異なり、遺伝子組み換え食品などもきっぱりと拒否し、有機農業に力を入れる方針を、大統領が明確に打ち出しているのだ。

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