種ナシくん~俺の精子を返せ!~

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「まずは無農薬生活か、ちょっと試してみようかな」

 

 先生はうれしそうだった。日々、「一刻も早く子どもがほしい」と切実に願う患者に化学治療を施すなかで、その功罪について思うところが多々あり、一石を投じたいと考えてきたのだろう。

 もっとも、この時点でのボクは、食生活をあらため、オーガニックな生活に切り替えるだけで不妊を克服できるなんて、そんなウマい話はないだろうと、半信半疑だった。相手もいないし、お金もない。そんな状況が消去法的に、リスクもコストも低そうな方法を試してみる決意をさせた、というのが正直なところだ。

 

 いずれにしても、ボクからしても、持論を実証したかった先生からしても渡りに船といった感じで、ここからの二人三脚が、「いち医者、いち患者」の関係を、「同志」と言える域まで縮めていくのだった。

 

『天皇家の食卓』『奇跡のリンゴ』との出会い

 

 最後に先生は、本棚からある書籍を探し、ボクに手渡してくれた。

 

「直接的に不妊の話をしているわけではないけれど、食に関してはこの本がタメになると思う。貸してあげるから、ぜひ読んでほしい」

 

 それは『天皇家の食卓』(著・秋葉龍一)という本だった。

 

「コロッケひとつに国家の総力が結集する、天皇家の質素な食事内容がどんなものか、勉強してみるといい」

「え!? 天皇陛下がコロッケなんて庶民的なものを食べるんですか?」

「そうだよ。この本には125代、2600年間、一度も血脈が途絶えたことがない天皇家の食の秘密が書かれている。そして、明治天皇は15人、大正天皇は4人、昭和天皇は7人、今上天皇は3人と、歴代の天皇陛下はみんな子沢山なんだ」

 

 合わせて、先生はNHKで放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』のある回を勧めてくれた。

 

「あらゆる作物のなかでもっとも難しいとされる、リンゴの無農薬栽培を8年がかりで成功させた、青森のリンゴ農家が特集されていた。録画したものを、今度観せてあげるよ。『奇跡のリンゴ』(著・石川拓治氏)という本にもなっているから、それも併せてね」

 

 言われるままに本を読み、番組を鑑賞させてもらうと、どちらも目からウロコの大きな発見があった。

 

『天皇家の食卓』を読むと、天皇家の食事はさぞ豪華で、超高級料理が並ぶのかと思いきや、実は来賓があるとき以外は、一般国民と同様の質素な家庭料理が中心であると知って驚いた。基本的に粗食、少食で栄養管理が徹底されており、例えば昭和天皇の時代は、一日1800キロカロリー、塩分は10グラムまでと厳しく制限されていたという。考えてみると、皇族の方々は常に健康的な体型を保たれている。糖尿病に罹ったなどという話も聞いたことがない。

 そして、注目すべきは食材の質だ。栃木県に東京ディズニーランド4個分という面積を誇る専用牧場(宮内庁御料牧場)があり、搾乳所、肉加工場などの施設が整っているという。70名ほどの職員が、天皇家の最高品質食材を守るために常勤しているそうだ。

食肉は豚が約90頭、羊が約400頭、鶏が約1300羽飼育され、当然、飼料も無添加のものが与えられる自然農。野菜は大根、ニンジン、キュウリ、ホウレンソウ、トマト、レタス、ゴボウなど、約20種が栽培され、完全無農薬につき、虫が食ったものや、形が不揃いのものもあるという。海外の来賓がこの御料牧場へ招かれ、現地でふるまわれた食事を口にすれば、皆が感嘆するとか。

天皇家の食卓は日本国家の総力を結集した、世界屈指の健康食卓。それゆえの125代、2600年の歴史と、ボクは感嘆した。

 

次にリンゴ農家の番組と、『奇跡のリンゴ』という本。先生が簡単に解説してくれたように、無農薬は困難を極めるというリンゴの栽培において、8年間の努力の末に奇跡を成し遂げた、青森県弘前市のリンゴ農家・木村秋則さんの物語だ。農薬まみれのリンゴが、クスリまみれの人間に重なって見えてくる。木村さんの発言の要旨だけピックアップすると、次のようなことだった。

 

「クスリを使えば苦労なく、リンゴは育つことが、その“点滴”なしには生きていけないほど弱くなってしまう。車ばかり乗っている人間の足腰が弱くなるのと同じだ」

「リンゴも人間も自然のなかで周りと共存して生きてきた。本来は無駄なものなどなく、雑草も害虫も、菌にもそれぞれの役割がある。クスリの力でその一部だけを強引に排除すれば、生態系のバランスを崩し、どこかに大きな歪が生じてしまう」

「そもそも、大自然の植物が農薬なしで何百年も青々と茂っていることに、なぜ気づかないのか」

 

 映像を観ると、木村さんの畑は雑草が生い茂り、虫も飛び回っている。それでも、本来の自然のバランスが保たれ、リンゴの木は幹が太く、根も丈夫だ。例えば、「栄養を奪ってしまう」として除草してしまう雑草は、菌や微生物を寄り付かせ、土に養分を与えたり、猛暑から土を守るという役割も果たすそうだ。調査によれば、真夏でリンゴ農園が38度になったときも、土の温度は25度に保たれていた。雑草を刈ってみると、そこから8度も上昇し、土は33度になったという。

 また安易に殺虫剤を散布すれば、悪い虫を食べ、受粉を媒介してくれる益虫まで排除してしまうのは当然のこと。2章で述べたように、ミツバチを殺し、受粉活動がなされなくなるため、食糧増産の目的が逆にそれを妨げてしまう、という例もあった。

 

 雑草も虫も、すべてを「悪」と決めつけて排除するのではなく、最低限の調整に留めるという意識が肝心だ、と思った。これは人間も同じだろう。学校には出来のいい子も、悪い子もいるが、都合よく切り捨てるより長所を見るのが重要で、その多様性が豊かな社会をつくっていく。

その点、必ずしも正しい説明をせず、農薬を必要以上に世界中へ拡げるバイオメジャー企業は、強者の論理で弱者を顧みないものに思えて、意地でも無農薬の生活を実現させてやろう、と考えるようになった。

 

 すっかり熱くなったボクは、メールで先生に感想を伝えた。

 

「先生がこの2作品を紹介してくださった意味、よく分かりました。リンゴの木は、ボクの下半身そのものだということですね。農薬や化学品まみれで生殖機能が衰えてしまい、その力を取り戻すためには、リンゴ農家の木村さんのように、時間をかけてコツコツやっていくしかない。そのためには食事内容をあらためるのが先決で、『天皇の食卓』にオーガニックな食生活を学べと。木村さんは抵抗力、免疫力、自己治癒力を失ったリンゴの木を無農薬で再生させるまで、8年の月日を要していて、ボクにその覚悟があるか、ということですね」

 

先生のレスポンスはいつも早いのが特徴だ。

 

「ご名答!その通りだよ。伝わってよかった。覚せい剤が典型だがクスリは禁断症状を伴うもので、それに打ち勝つ強い精神力が問題なんだ。あのリンゴの木は、木村さんの粘り強さ、信念があったからこそよみがえることができた。並の農家だったら、途中で断念して、また農薬を使って逆戻りだったろう。だから、君も頑張れ。私も長年不妊治療の現場に携わってきて、君のようにチャレンジングな患者と出会えたのは幸運だと思っている。これからも応援するから、何卒、何でも相談してください」

 

こうして世間一般の不妊治療とは180度違ったアプローチによる、精子を取り戻すため、試行錯誤の挑戦が始まったのだ。


第四章 “脱・種ナシ”のキーワードは、天皇家×ミック・ジャガー×徳川家康!?


「子だくさん健康長寿」の食事を知る

後日、先生に借りた本を携え、あらためてクリニックを訪れた。待合室の掲示板には、看護師の退職に伴う補充人員の募集と、「農薬の害から子どもを守れ!」と題されたセミナーのお知らせ。患者はボクだけで、すぐに診察室に通された。

「先生、お借りした本、とても参考になりました。本学的な化学療法を受ける費用もまだ厳しいですし、やはりクスリに頼らない方法にチャレンジしたいと思います」

本棚に目を向ければ「四季報」が冬号から春号に変わっていた。相変わらず、先生の投資意欲は旺盛のようだ。一方で、やはり本業で儲けようという気はあまりないように思える。ボクは後年、不要だとわかった肩の外科手術を受けて後遺症が残ったこともあるし、抜く必要のない歯を抜かれたこともある。儲け第一主義の医者も存在するのが実情だと思うし、セカンドオピニオンの重要性を感じるところで、振り返れば、偶然このクリニックを頼ることができて幸運だった。先生は次のように返答してくれた。 


「それでいいと思う。あとは定期的に、半年か一年に一回でいいから、精液検査を受けてもらって、成果を見ていこう。疑問はメールで質問してくれればいいし、不妊治療で何百万円も使うくらいなら、無農薬食品やオーガニックなライフスタイルに関する本でも買って読んだほうがいい――ああ、念のため言っておくけれど、これは君の事情に合わせて言っていることだからね。『あのクリニックは患者を放置する』なんて、ネットに書かないでよ(笑)あくまで患者のために、と思ってやっているのだが、前にそれで痛い目に遭ってね……」 


先生が匿名でブログを書いているのは、医療業界や農薬業界からの反発を恐れているからではなく、誤解を与え、患者に不必要な不安を与えないためだということがわかった。 


「もちろんです。先生の気持ちは、よく理解しているつもりですから」 


そうして、先生に具体的な治療ではなく、「コンサルティング」のお願いをすることになった。農薬から離れたオーガニックな生活をすることで、乏精子症が改善するかどうかは、正直わからない。しかしそれでも、先生の真摯な取り組みに感銘を受けたし、自分の体がどう変化するのか試してみたい、という好奇心がどんどん強くなっていた。 

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