発見や発明 2.3.2 技 能

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著者: Karl Kamamoto

 2002年12月のNTT-AT社による節電虫(益虫)の商品化開始に先駆けること8年前、1994年の節電虫(益虫)原型の試作に特別な技術は必要ありませんでした。節電虫(益虫)原型の試作に必要だったのは電気への興味から毛がはえた程度の私の「技能」、古い機械式の外付型電話ベルという「物」、執念と常識を恐れない「無知」の三つでした。決して発明とか技術革新といった内容のものではありませんでした。

 技術革新、イノベーションというと何やら途方も無い高度な技術の発明や状態への到達のように聞こえますが、松下電器産業株式会社の元副社長、水野博之氏は氏の著書の一つである「今こそ松下幸之助に学ぶ」の中で以下のように述べられています。

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 イノベーションとは、文字通り「新しいやり方」である。どんなことでもよいのだ。新しいやり方が歴史を変える、とシュンペーターは言ったのである。不幸なことにほんではイノベーションは「技術革新」と訳された。大変な誤訳である。

 (中略)

 それは「いまあるものの、新しき組み合わせ、結合である」と、シュンペーターは喝破したのである。

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 今日では高度な加工機械、それを高度にすばやく管理するコンピュータで多くの物が大量に安く生産できるようになりました。しかし人間もまだまだ負けていません。これらの加工機械やコンピュータでは認識できない単位の加工が人間の手、目、耳、体でしか行うことができないものが多くあります。巧みの技と称されているものです。人工衛星に使う部品、新幹線の風圧に耐える先頭部の車体曲線部などなどです。

 これらは技術というよりも技能です。技術と技能の定義の違いは広辞苑には以下のように記述してあります。

技術:科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に役立てるわざ 

技能:技芸を行ううでまえ

 日本が技能オリンピックで優秀な成績をおさめていた時代は高度成長期で、職人の活気にあふれていましたが、技能は古臭いというまちがった考えからか、後継者が減少し、デジタル時代に突入すると同時にその地位をアジア諸国に奪われていきました。

技能というと1970年11月10日にアジア初の第19回技能オリンピック大会が東京で開催されたのを記念して労働省が翌年の1971年に「技能の日」を制定しました。その技能オリンピックについて井上清一氏が1997年12月に以下のようなことを述べられています。

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日NHKテレビで「1000分の1ミリに挑む」というタイトルで、今年ヨーロッパで行われた技能オリンピックのことが放送されていた。かつては、この競技は、日本人の独壇場であった。現在は、韓国と台湾の独壇場に代わり、今回も各々10個の金メダルを獲得している。最近の傾向は、スイスやドイツのヨーロッパ勢の復活と、オーストラリアの台頭があげられる。ちなみに日本ティームは、今回はたった2個の金メダルに終わったそうである。

 板金、塗装、溶接、電子機器組立では、まったく上位にも進出できなくなった中で、精密機械工作組立の部門だけは、日本が金メダルを死守している。今年は、デンソーの社員の方がこの部門に出場し、金メダルをねらっている。機械の製作は、まず、設計者が図面を描き、生産現場の技能者がこの図をもとに、部品を作り、そして、組み立てることになる。設計図が出来れば、工作が出来ると考えるのは大きな間違いである。設計図はいくら詳しく描いても不完全なものなのである。作曲の結果は、五線譜に描かれるが、これだけではそれが如何に名曲であっても名曲足り得ないのである。演奏者や指揮者は、五線譜の行間から、作曲者の意図を読みとり、完全な音楽に構成していく。現場の技能者も、設計図から設計の意図を読みとり、技能者の経験と知恵を各部品に付け加えて行かなければ、到底機能する機械は完成しない。設計図に表れてこない寸法を設計図に付け加えて行かなければ、動く機械は出来上がらない。

 像によれば、作業のスタートの合図があっても日本の選手は、工作機械の前に立たず、ひたすら電卓をたたいて、「遊びの寸法」の計算をしていた。オリンピック会場の室温や湿度が金属にどのような影響を与えるかを考えて遊びの寸法を決定していくのである。計算が終わると、いよいよ工作に取りかかる。日本から1000種類以上の工具を持ち込んでいる。仕上げには、超精密工作機械すら使わない。彼が使っていたのは、何とヤスリである。ヤスリでサブミクロンの世界を削り出すのである。

 うやく、部品が出来上がり、組立作業に入った。どんどん部品が組み上がり、出題された作品が出来上がっていく。しかし、組み立て終わった機械は、スムーズには動かなかった。すべての寸法を再チェックしたがどこにもミスはなかった。彼は頭を抱えた。そして彼の結論は、何と課せられた問題に間違いがあるのではないかということであった。勇気を振り絞って、競技委員に問題ミスを指摘する。もし、彼の指摘が間違っていれば、技能者として築いてきた地位すら失いかねないのである。競技委員たちが集まり、問題を再検討し始めた。なんと問題が間違っていたのであった。直ちに選手達が呼び集められて、問題が間違っていたこと、そして修正された問題が再び提示された。もちろん、この部門の金メダルは、日本選手であった。98点という史上最高の得点であった。問題の間違いを指摘した能力も評価されたに違いない。

 本の繁栄を支えてきた工業生産は、これらの無名の技能者によって支えられてきた。設計者が描いた製作図を、彼らが、経験と知恵によって、現実のものとして具現してきたのである。しかし、社会も企業もかれらの貢献に対してどれだけの評価をしてきたのであろうか。彼らの現在の姿がそれを端的に表している。20年前の金メダリスト達は、今は、事務職として机に座り、慣れぬキーボードに触れているのである。今は昔のメダリストを必要としないのだという。今日の利潤追求用スタッフとしては不用であるというのである。しかし、将来に向けても必要にはならないと言うのだろうか。なぜ少数の選ばれた人たちすら、技術の継承のスタッフとして活用できないのだろうか。明日、明後日の為に。アイデアはあるが、それを実現できないという悲惨な状況になって、初めて技能者達の存在価値を思い知るのであろう。何と短期的視野しか持ち得ないのだろうか。我々は、この30年間の栄華の痕跡すら何も残せずに、歴史の舞台から消えていこうとしている。

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