フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)

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著者: 花岡 めうみ
周りの友達はどんどん
決まっていくのに
自分だけがなかなか決まらない。
これは辛かった。
書類選考で落とされているような気分。
この頃の私は
自分に自信がなく
暗い印象があった。
だから、
なかなかホストファミリーが
見つからなかったのだろう。
残り物には福があると
周りからは励まされていたが、
内心穏やかでない日が続いていた(T_T)
ますます自分に自身がなくなっていく気持ちにもなり・・・。
交換留学プログラムでは、
アメリカの高校が始まる
8月末に合わせての出発なのだが、
英語力が不安だったのと、
少しでも早く現地に慣れたいということで
最初に3週間の語学研修をうけることにし、
通常より早い、

1994年の7月28日に日本を発った。

話が変わるが、
実は7月28日というのは、
偶然にも
私が去年ジョホールバルに移住をした日と同じ(驚)!
昨年の7月28日の出国直前に
空港で母が教えてくれ、
そこで初めて分かったのだ。
なんという偶然なのだろう・・・。
話は戻り、
実は日本を発つとき
周りのみんなは
すでにホストファミリーが決まっていた。
決まっていないのは、
私だけ・・・(;_;)
本当に不安で仕方がない出発だった。
やっと
ホストファミリーが決まったのは、
語学研修の最中。
通常は渡航前の日本で決まるのに
私は、まさかのアメリカに到着後に。
本当にギリギリでの決定だったのだ。
語学研修中も決まるまでは、
気にしないようにしても
頭の片隅から離れず、
とても不安な日々を過ごしていた。
だから決まった時は
本当に嬉しかった!
自信を失いかけていたから・・・。
交換留学で一番の心配事は、
ホストファミリーとの人間関係。
留学中に文化や習慣の違いで
トラブルにあったり、
チェンジする学生も結構いる。
でも私は、順風満帆な人生ではないが、
人には恵まれていた。
ギリギリで決まったが、
私とホストファミリーとの相性は抜群で、
他の交換留学のメンバーの誰よりも
一番良いファミリーに恵まれた。
早く決まっていた子で
途中ホストファミリーとうまくいかず
チェンジしたり、

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