何のとりえもなかった私が、10年以上かけて叶えた夢 大学時代編

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前話: フツーの主婦が一台奮起して、マレーシアのジョホールバルに移住 ー今の私を作ってくれたもの
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著者: 花岡 めうみ

日本は最高!

日本ほどサービスがよく
商品のクオリティーがよく
痒いところに手が届くサービスをしてくれるところは、
そうはない。
それは、
今ジョホールバルに1年以上住んで
改めて感じている。

大学時代に痛感

大学時代は、
周りの友達の英語力の高さ、
国際感覚のバランスの良さに圧倒され、
自分は英語では生きていけない
痛感した。
この頃から、

将来は、

通訳など英語だけで生きていくのではなく、
英語を活かして、何かしたい。
日本の良さを海外に伝えたい。
日本と海外の架け橋になることができればいいな
と思うようになっていったのである。
でも、
実際に就職したのは、
思いっきりドメスティックな
某財閥系の営業会社になってしまった。
外資系はもちろん受けていたのだが、
私の英語力ではバリバリに英語を使う部署は通用せず・・・、
自信がなく、
事務系の仕事内容で外資系を受けていた。
でも、外資系だから、
まわりは英語を流暢に使える帰国子女ばかり。
大学で、この子たちにはかなわないと思っていたので、
同じフィールドで戦うのをやめた。
あえて英語が出来る人がほとんどいない
企業を選んだのだ。
なぜなら、
そこが私の英語力をかってくれたから(はい、単純です^^;)
まわりがあまりにも英語が出来ない人ばかりだったので(失礼)
私でも英語で目立つことができた。

一応、海外での事業所があったので英語力を活かして、

いつか海外勤務ができることを夢見て入社を決めた。
就職氷河期ということで、
そんなドメスティックな会社でも
男性120名採用に対して、
女性の採用はたったの2名。
就職活動自体はかなり大変だったが、
なんとかこの2名の枠に入ることが出来た。
しかし、
この会社での海外で働くと言う夢は、
あっという間に崩れ去っていった・・・。
続く

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フツーの主婦から会社経営者になるまでの軌跡を振り返って感じたこと