堺空港の思い出1 あの時の課長さん

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著者: 河井 良晃
今の堺では小学校の社会見学は堺空港が定番だそうだが、私の頃は堺空港の工事現場だった。1986年のことである。
バスで現場へ向かうと、何やら道路脇で工事をしている。国鉄は百舌鳥から、南海は石津川から、阪神高速は出島から伸ばしているそうだ。
そうこうしているうちに工事現場に到着。ターミナルビルっぽいものが建ち始めているが、滑走路はまだ舗装も何もなく地面しか見えない。一同マイクロバスに乗りかえて滑走路へと向かう。降りるとここで着陸します、向こうのブルドーザーのあたりで離陸しますと職員さんが教えてくれた。
最後に脇に立っていた仮説の見学塔に移動。空港が一望できる。
誰かが「コンコルドは来るんですか?」と質問した。「来るかもしれませんね」と職員さんが笑顔で答えてくれた。胸のバッジに課長と書いてあったのがいつまでも記憶に残った。
それから10数年、大人になってイギリスに旅行した時のこと。横に座っている初老の日本人に見覚えがある。
「あなた、昔堺空港にいませんでした?」
向こうは驚いたようだ。
「え、ああ空港作ってたけど・・・」
「実は私小学校の社会見学でお会いしたことありますよ。」
「そうだったんですか。いやあ、びっくりした」
氏は当時運輸省から出向で来ていて、広報に携わっていたとのこと。社会見学の案内もその一環だったそうだ。国土交通省の要職に出世していたらしく、今回は航空行政の会合で英国出張とのことである。
まさかこんなところで出くわすとは思わなかった。

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