来年2022年2月に発売から45年目をむかえる ロングセラー「カネソン母乳バッグ」開発秘話
母乳バッグは1977年の誕生以来、40年以上にわたって全国の病産院・NICU(新生児集中治療室)で支持され、日常生活でも愛用されてきました。
カネソン株式会社6代目現社長に母乳バッグの商品開発のエピソードを伺い、開発秘話をご紹介します。
日本の未熟児保育のパイオニア小児科の先生との出会い
1973年(昭和48年)“病院でも自宅でも簡単に使える”をテーマとしたピストン式さく乳器『カネソンさく乳哺乳器』を日本で初めて発売。
この商品がきっかけで小児科の先生と“母乳が冷凍できる保存袋”を共同開発することとなりました。
国内初のピストン式さく乳器
「カネソンさく乳・哺乳器」
それは、1976年に鹿児島で生まれた日本初の五つ子ちゃんを育てるために、どうしても搾乳した母乳を保存し、運搬する容器の開発の必要があったのです。
小児科の先生についてはご存知の方もおられると思いますが、日本において母乳育児研究の第一人者といわれた人です。
この一件は、当時のマスコミで「山下さんちの五つ子ちゃん」として大きな話題になりました。
小児科の先生はこの「五つ子プロジェクト」メンバーの指導的立場の先生でした。
出産後の母親から
「五つ子ちゃんを母乳で育てたい、搾乳した母乳を持ち運ぶ方法はないか」
と我が子を思う母親からの切なる願いを受けました。
母の願いを叶えるため以前から考えていた“搾母乳を持ち運ぶ方法”の研究に取り組む
実は小児科の先生はニューヨーク留学中に、母乳バンクの存在・冷凍母乳を知り、他人の母乳でも赤ちゃんに与えることができる現状を見て
「他人の母乳ではなく、母親が自ら搾った母乳を我が子に飲ませたい」
その手段はないか…。帰国後もそのことをずっと考えていたといわれています。
カネソン株式会社
6代目現社長 柳瀬喜和
母乳バッグの誕生
折しも、その時この鹿児島の一件があり、これを具現化しようと研究しておられたので、そのパートナーとして注射器をヒントに搾乳器を開発したカネソンに声がかかりました。
小児科の先生の指導の下、試行錯誤を重ね、1977年(昭和52年)世界初の母乳を冷凍保存するプラスチック製のバッグが完成しました。
カネソンではこれを母乳バッグと命名し販売を始めました。
これを機に今ではあたり前になっていますが、自宅で搾乳した母乳を冷凍することで“母乳の持ち運び”“母乳の保存”が可能となり、多くの病産院・NICU(新生児集中治療室)で使用されるようになりました。
発売当初の母乳バッグ
鹿児島の五つ子ちゃんには直接的には母乳バッグは間に合っていないのですが、母親のわが子への想い、それを支えた先生の研究の成果として母乳バッグが生まれた経緯があります。
当時の五つ子ちゃんも、いまや45歳を迎える年になっておられ、母乳バッグもまもなく発売45周年を迎えることになります。
赤ちゃんが飲む母乳だから
母乳バッグは発売当初、とてもシンプルな形(四角い袋)をしていました。
その後、機械の改造により余分な空気も簡単に抜ける形を考案し、病産院・NICU(新生児集中治療室)やご家庭で使用の際に、できる限り簡単な作業ですむようにと常に改良をしております。
それらの例の一つとして、母乳を一箇所に集めやすくし、本体袋の内側についた脂肪をとりやすくするために、母乳バッグの下部を斜めカット(センターカット)にするなどの工夫を取り入れ、常に安全性や使いやすさを考慮した物作りを行っています。
今では母乳バッグの研究はさらに進み、
・素材は、内側には牛乳パックにも使用できる安全性の高いポリエチレン、外側に強度の大きいナイロンを使用した2重構造。母乳の中にプラスチック成分が溶け出すような心配がないこだわりの設計。
・製法は、フィルム素材をクリーンエアーでインフレーション成形し、直後に筒状のままシート状に圧着したものを製袋。異物や雑菌が入りにくい安全性を追求したカネソン独自の製法
・衛生面は、安全性を高めるために製造後、さらにガンマー滅菌。
など、赤ちゃんが飲む大切な母乳だからこそ、しっかり守るための最善の注意が払われています。
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