「人生って意外と 捨てたもんじゃないよ。」
周りの理解無かったら今のオレは居ないのかも知れない。
カミングアウトしてからは自分に素直に生きて行けた。
何回か転職したけど、面接の時点で
「男として生きています。なので男として働かせて下さい。」って
躊躇なく言えた。
中にはそれが理由で不採用になった会社があったのかもしれないけど、
自分らしく働けないのならば採用されてもしょうがないからね。
初めてネクタイを締めて出社した時はめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも鮮明に覚えてる。
もう隠さなくていいんだ。
幸いな事に社会人になってからは
男の服装をしていたらほとんど女だって事はばれなかった。
もともと顔も男顔だったし、短髪だし、声も低かったからね。
でもねこんなオレでも両親だけには面とむかって自分の事は話せなかった。
打ち明けた時の反応が怖かったから。
結局、両親に打ち明けたのは34の時。
手術を決めた時だった。
母親は
「気づいてたよ。だってどう見たって女の子じゃないじゃん。
今さら女の子らしくされたら逆に気持ち悪いし。
あんたの人生なんだから自分の思うように生きたらいいんじゃないの」
って言ってくれた。
父親は意味が分かっていないらしく黙ってた。
でも反対もしなかった。
本当は一番最初に伝えるべき存在だと思う。
ごめん。
そして受け入れてくれてありがとう。
これで晴れて自分を偽ることなく生きて行く事となった。
今まで抱え込んでた大きな荷物がひとつ減って気分は最高だった。
改めて伝えたい。
両親、兄弟、仕事で関わった方々、友人達本当にありがとう。
みんなのお蔭で自分らしく生きていけてる。
感謝してもしきれない位。
みなさんの周りにもしもオレみたいに性同一性障害を抱えている人が居たら
どうか偏見を持たないで欲しい。
多分、必死の覚悟であなたにカミングアウトしたと思うから。
理解するのは難しいかもしれないけど否定しないであげて欲しい。
何より悩んで来たのは本人だから。
どうか頼む。
③治療の事
性同一性障害であるオレは当然だが心の性に体を近づけたいと思っていた訳で。
それでも知識も無いし、何より治療費用が用意出来るはずもなく治療しないままで居た。
おっぱいの膨らみを目立たない様にする
「なべシャツ」という
胸を押し潰すバンドをつけて生活していた。
当然、押し潰すんだから苦しいし夏は暑い。
でも金のないオレにはこれ位の事しか出来なかったんだよね。
それでもいつか治療出来る日を夢見ながら、
ネットで片っ端から性同一性障害について調べた。
そんな中で戸籍が変更出来る事を知り、ますます治療への気持ちが強くなった。
戸籍を変えれば本当に男になれる。
結婚だってできるんだ。
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