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普通の主婦の普通じゃなかった半生 (実話自伝)登校拒否〜身障者〜鬱病からダイバーへ 総集編

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手をつなぐことすらなかなかできないことだったです。

そんな幼い初恋が終わったのは高1の夏休みでした。

フラれちゃったのです。

彼氏の家の近所まで呼び出されて、気持ちが変わった訳じゃないけど別れよう、そう言われて。

バス停まで送ってもらってバスに乗った瞬間、我慢してた涙があふれて止まらなかったのを覚えています。

私は高校が離れて会えなくなっちゃったからかな?そう思っていたけど、後になって聞いた話しでは違う男の子と私が付き合っていると噂になってたからみたいです。

二股をかけられてるって彼氏は思ってしまって、彼は私に確かめることもできず、私は私で何でフラれたのか?も聞く勇気がなくて、それでおしまいになりました。

幼すぎる心のすれ違いですね。

それでもその時はとても辛かったです。


それで高1の夏休みは傷心のまま終わりました。

でも、他のすべてのこと何もかも、生活も散々だった私に神様?は恋愛と友達関係に関してだけは味方してくれました。

失恋して1ヶ月くらい経った秋に文化祭がありました。

私は放送部の3階の部室で校庭で行われていた行事のたしか音楽を流す係をしてました。

その時に偶然、憧れの先輩と一瞬二人きりになりました。

そこで校庭を眺めながら憧れの先輩に言われたのです。

はっきり覚えています。

「俺と付き合ってみる?」と。。。

はっ???

は〜〜〜っ???

ぇ?

ぇぇぇっ???

ドキドキどころかバクバクどころか心臓が飛び出そうでした。

聞き間違い???

いや???言われたな。。。

「はい。」と小さな声で答えるのがやっとでした。

だって彼は私のアイドルだったのに、リアルになったんです。

その小さな「はい。」で私の彼氏になっちゃったんです。

ビックリどころじゃなかったです。

それまでの私の人生で良い意味での一番の大事件でした。

二番目の恋も努力することなく、向こうからやってきました。

恋に関しては本当にものすごく運のいい子でした。

思春期にそんな良い思いをしたことは、他のことがすべてダメでも女の子としてとても幸運なことだったと思います。

恋もダメだったら、私は違う意味でものすごく屈折した子になっていたと思うから。


その彼とは高1の秋から22歳まで7年間も続きました。

私の青春のすべて。

私の初めての経験のほとんどすべて。

何をするにもどこに行くにも一緒だった。

思春期から大人になるまでの、どの想い出にも彼が居ます。

彼は私にとってかけがえのない存在でした。

彼はとてもモテた人だったけれど、どんなことがあっても一途に私だけを大事にしてくれるそんな人でした。



16歳での自立 働きながらの美容学校。



話しはまた前後しますが、高2になる歳に母の自己破産で私は自立を決め、美容院で働きながら美容学校に行き始めました。

その頃の美容院は今と違ってまだ丁稚奉公的な要素が残っていて、技術を教えてもらうかわりにご奉公するみたいな制度でした。

なので、新人は美容室の仕事以外に従業員みんなの食事を作ったり、寮の自分の部屋以外の掃除をしたり、お手伝いさん的な仕事もしなくてはいけませんでした。

朝6時から前の日にお店で使って洗濯したたくさんのタオルの片付けと掃除からはじまり、それから美容学校に登校、学校が終わったらすぐにお店に戻って仕事をし、夕飯の支度や寮の掃除を合間をぬってして、夜はまたお店の掃除とタオルの洗濯をして自分の練習が終わるころには深夜12時。

そんな毎日でした。

美容学校が休みの日曜日は一日中仕事。

美容院が休みの月曜日は美容学校があります。

休めるのは月曜日の美容学校が終わった後の半日だけでした。

大変だったけど、それでも私は充実していました。

自分の力だけで生きていることが嬉しかったのです。

美容学校も楽しかったです。

中卒で私と同じように働きながら通っている子が半数くらい居て、その子たちはみんな私と同じように家庭にいろんな問題を抱えていて自立しなくてはいけない境遇で、たくさん言葉を重ねなくてもわかり合うことができたから。

みんなが助け合いながら生きていました。

私はお給料から学費と寮費と食費を支払っていたので、国?県?からの援助制度をつかっても、月に残るお金はたったの7000円しかなくて、それで洋服や生活や学校に必要なものを買っていたので、いつも慢性的にお金がありませんでした。

学校にあった自販機で飲み物を買うことも贅沢なことでなかなかできなかったです。

でも、毎日、その自販機でコーラを買っては「もう飲めないからあげる。」そう言って半分必ずくれてた友達が居ました。

最初のうちは気づかなかったけど、毎日毎日だったので私にもわかりました。

毎日、私の分まで買ってくれれば私に負い目ができる。

だからその友達は自分が要らなくても買って半分くれてたのです。

私に気をつかわせずに優しくしてくれる。

そんな友達に恵まれて、私は本当に幸運でした。

遊ぶ時間はほとんど無かったけど、短い時間だったからこそ余計かな?

遊べる時間は変な表現かもしれないけど、精一杯遊んでいました。

私を精神的に支えてくれていた彼とのデートも。

お金が無い私に彼氏は手作りのお弁当を作ってきてくれてました。

そんなとても優しい人でした。

会える時間はほんの少しで限られていたけど、私たちは心で繋がっていました。

会いたい時に会えなかったから余計にかもしれません。



いきなり身障者になってしまった私。



美容師になって忙しく貧乏ながらも自立でき、友達や彼氏ともうまくいっていた矢先、また私に災難が訪れます。

美容院で帰られるお客さんを送り出しに外へ出た時のことでした。

ただ立っていただけなのに、いきなり左膝に力がまったく入らなくなりグラっとしてその場で転びました。

一緒に外に出ていたお店の人は「何してるの?」って笑いました。

私も最初は笑おうとしたんですが、転けた途端左膝に激痛が、それも半端じゃない激痛が走り、痛くて痛くてどうやっても立つことすらできません。

足にまったく力も入りません。

お店の人に抱えてもらってとりあえず店内に入り、座って休もうとしましたが曲げることも伸ばすこともできない痛みで、しばらくしても歩くどころか手を添えて痛みをこらえて曲げないと座ることすらできないし、なんとか座っても激痛が治まりません。

それでオーナーにお願いして近くの整形外科に連れて行ってもらいました。

初見でのお医者さんの話しでは膝のお皿のところがすごく腫れている。つかいすぎで水が溜まっているようだから抜きましょう。そう言われて太い注射器をお皿の下まで入れて溜まっていた水を抜こうとしたら、溜まっていたのは水じゃなくて血液でした。

何回も何回も抜いたのですが、出血が止まらなくてキリがないほどで、お医者さんが溜まっていた血を注射器から出していたお皿みたいなモノは私の血液でいっぱいになりました。

どうしてそんなことになっているのかお医者さんにもわからなくて、とりあえずレントゲンを撮りましたが異常なし。

それで、その日は湿布をもらって帰って冷やしました。

でも、次の日になってもまったく膝の痛みは治まらず、自分の意思では曲げることも伸ばすこともできないままの激痛でした。

痛みは自分以外の人はわかりません。

大したことだとは誰も思っていなかったのでしょう。

そんな膝が痛いくらいで、とお店の人には言われましたが、はじめて私はお店を休みました。

オーナーも仕事で忙しく、二日も続けて病院に連れてって欲しいとは頼めず、私はひどく傷む左膝をかばいながら自転車を片足でこいで、一人で病院に行きました。

診療は前の日とまったく同じで溜まっている血をただ抜くだけ。

その日もたくさんの出血がありました。

そして次の日になってもその次の日になってもまた同じ。

ただごとではないと思われた病院の先生は未成年だった私に、保護者の人にお話しがあるから一緒に病院に来て貰ってくださいと言われました。

オーナーに頼んで一緒に病院に行ってもらいました。

そこで病院の先生は私の左膝から出た大量の血液をオーナーに見せて言われました。

「レントゲンに異常は無いのに、こんなに長いこと大量に出血して止まらないのは血液の病気かもしれません。詳しくしらべてみないとわからないけれど、白血病の疑いがあります。大きな病院で検査してください。」と。

驚きました。

白血病といえば死の病です。

膝が痛いのに白血病?

それで、私はまた一人で今度は総合病院に行きました。

そこでも結果は同じ、レントゲンに異常なし、ただ血液が溜まっている。

原因不明。

でも白血病ではないのはわかりました。よかった。。。

何週間か寮の自分の部屋でじっとして回復を待ちました。

曲げ伸ばしが手を添えて激痛に耐えて無理にしないとできないままの状態。

トイレに行くのも松葉杖をついてでも大変で。

お店に出ていない私は食べ物も自分で調達しないといけません。

昼間は彼氏も友達も学校や仕事があります。

手伝ってくれる人は誰もいませんでした。

ただただ治るのを待って痛みに耐えましたが、何週間も過ぎても状態は改善されません。

一月が過ぎた頃、私は美容室を辞めなければいけなくなりました。

いつ治るかわからない原因不明の足の病気で仕事ができない私を寮においておくことはできない。

著者の井筒 厚子さんに人生相談を申込む

猫の長男&次男、福と天と夫と私の4人暮らしです。
猫と海が大好きな元身障者ダイバーです。


この物語はすべて実際に私に怒った実話です。
私と同じ悩みを「今」抱えていらっしゃる方に私の経験が生かされるといいなと思って書いています。
読んでく

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佐々木 紀之

私は四年前に遭った事故により障害を負った者です。お言葉ですが、半年で治るようなものは障害ではありません。傷害です。訂正してください。身障者手帳は出たのですか?出ていないのなら、ご自分を身障者なんて言うことをお辞めください。不快な気持ちにさせてしまったのであれば、申し訳ありません。

井筒 厚子

佐々木様、半年で治ったのではありませんよ。まだ今でも時々歩けなくなります。私の場合生まれつきの左膝の骨の変形なので一生治りません。またいつ車椅子に戻るか?は賭でどれくらいの間車椅子でまた歩けるのか?も賭です。
今でも走ったり飛んだり水中以外のスポーツはできません。身障者手帳は出ましたが返却しました。昔のことで結婚や就職に不利になると言われそうしましたが、今は持っているべきだったなと思っています。

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