【上海に奇跡を起こした男の物語】〜情けは人のためならず・父の想い出①

ただし、彼女は三日以内に退院させること。
そこで父は急遽、会社の医務室の一部をチーちゃんの病室として用意し、
専門の看護婦を雇い、毎日、医者に来てもらうよう手配をし、彼女の治療に当ってもらった。
彼女はそこで何週間か治療を受け、回復した。
中国人の社会では、そんなことは考えられないことだった。
チーちゃんの家族にしてみれば、それは奇跡のようなことだったろう。
彼女が全快した時、彼女の両親は父に感謝を示すために、父を招待したい、と言ってきた。
父は少し考えた末、逆に全快祝いとして、チーちゃんと彼女の両親を招待することにした。
それには訳があった。
父は彼らに「特別な贈り物」を用意したかったのだ。
招待を喜んで受けて来たチーちゃんのご両親に父は言った。

ご両親も安心なさったことでしょう。
彼女の両親は、父に言葉では言い尽くせない感謝を全身全霊をもって示した。
父は続けた。

ご両親でも、私でもない。
誰だと思いますか?
チーちゃんと両親は、ぽかんとしていた。
父の言っている意味がわからないようだった。

トラックの運転手じゃないでしょうか。
チーちゃんの両親は驚いた。

あいつは、娘の方が悪かったんだと言い張ったんですよ!

チーちゃんの両親はそれでも怒りが収まらないようだった。

会ってやってくれませんか?
驚くチーちゃん一家の前に、父はその運転手を呼んだ。

本当にすみませんでした!!
チーちゃんが回復してくれて
本当に、本当に、嬉しいです。
ごめんなさい。
どうか、許してください!
彼は自分の非を認め、心から謝った。
チーちゃんの両親は彼の肩を抱き、謝ってくれたトラックの運転手を許した。

これが本当の全快祝いじゃないですか?
それが父の「全快祝いの贈り物」だった。
その後、その話がちーちゃんの口から他の従業員へと伝わっていった。
中国人従業員の中に、父への信頼と尊敬の念が生まれていったのは当然だったろう。
それから後に、そのトラックの運転手は、父の会社のトラックの運転手になった。
その当時、中国では、運転手による品物の横流しなどがあって、多くの会社が困っていたが、
彼は父に忠誠をつくしてれ、父の会社ではそういうこともなくなった。
父の経営方針は、徹底的な従業員へのサービスだった。
父の理念は、従業員が満足すれば、会社は自然と上手く行く、というものだった。
その工場で働いたのは、ほとんどが高等教育を受けていない、貧しい労働者階級の人々だった。
その当時、中国の労働者のランチというのは、せいぜい、ご飯と白菜の炒め物くらいのものだったが、父は一流のコックを有名飯店から引き抜き、毎日、8品くらい用意させた。
それは当時の中国ではあり得ないことだった。
しかも、残ったものは、お弁当箱に詰めたものを用意し、従業員が順番で持ち帰えるようにした。
それから、図書館と娯楽室も創った。医務室も完備した。
その評判はすぐに近辺に伝わり、そんなことをされると困る、と他の工場から父にクレームがきた。
しかし、父は動じなかった。
「うちは従業員の優遇をやめたりしませんよ。お宅でもやったらどうです?」
そういうと、相手はそれ以上、突っ込めなかった。
ここで働いて幸せだと感じれば、自然と生産性もあがる。
ひいては会社の利益になるのだ、と信じた。
しかし、創業開始から3ヶ月間は悲惨だったという。
不良品が25〜30%も出たのだ。これでは採算が合わない。
そこで父が取った対策は・・・
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