【上海に奇跡を起こした男の物語】〜情けは人のためならず・父の想い出①
まず、不良品を出した従業員の名前と数を壁に張り出させた。
そして、従業員の話し合いの場を設けさせた。
その時、父は部下に、とびきり美味しいお菓子とお茶を用意するよう、頼んだ。
従業員の緊張を取り、和める雰囲気創りのためだ。
集まった従業員たちに、父はこう言った。

どうしてその人が不良品を出してしまうのか、
原因を話し合いなさい。
たとえば、それが単なる不注意であったのか、
それとも、そんな単純な作業をするのは嫌だ、ということで、やる気が出せないのか、とかね。
もし、不注意であるなら、どうすればよいか、考えなさい。
もし、仕事に不満があるなら、配置換えをする。
もっと複雑な仕事に携わりたい者がいたら、言いなさい。
向き不向きというものがあるから、
皆が自分に向いた仕事ができるようにしなさい。
ただし、君たちに言っておく。
利益が上がれば、その分、君たちの給料もあげよう。
しかし、不良品が出続ければ、その分、君たちの給料に響く。
3ヶ月は待とう。
その間に改善してほしい。
そして、日本本社から派遣されている部下に父は言った。

だから、品質管理の云々を言っても無駄だ。
彼らに解決させるんだ。
父は従業員たちに、それ以上なにも指図しなかった。
しかし、その後、なんとたった2週間で、不良品は激減した。
そして、1ヶ月後には、不良品は全体の0.1% 千個に1個ほどになった。
これは、日本本社の品質管理を上回るものだった。
そして、黒字まで持って行くのに3年はかかると言われていた経営は、
なんと1年で100万ドルの利益をあげた。
それは、「上海の奇跡」と言われ、マスコミにも取り上げられるほどになった。
父はまた、従業員たちとの交流もはかった。
父は会社の食堂の従業員たちと同じ場所で食べていた。
すると、すぐに社長専用の特別席を作られてしまった。


社長への敬意を表してのことなので。
そこで、父は、毎日一人ずつ、社長のテーブルに従業員を招くことにした。
父が最初に呼んだのは、16歳の女工さんだった。
彼女はとても緊張していたので、父が中国語でジョークを言ったらゲラゲラ笑い出した。
冗談がおかしかったのではなく、父の発音がおかしかったから。

彼女は自分が社長に何か教えられた、というのでとても嬉しかったらしく、
その話も伝わり、だんだん積極的に父とランチを一緒にしたいという従業員が増え、
一人づつが二人になり、三人になり、そして結局、みんなでいっしょに食べるようになった。

ただ君たちより歳を取っているから、経験がある、というにすぎないんだ。
君たちだって、私なんかを超える大きな可能性をもってるんだよ。
父は若い従業員たちとランチをしながら、たびたびそんな話をした。
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だから、社長は経営者として本物だというんです。
部下にそう言われた時、父はこう答えたそうです。

経営者というのは、あくまで、どれだけ利益をあげることができるか、ということを追求しているのであって、私はそういったことを経営者としてやっているわけじゃないよ。
それは一人の人間としてやっていることなんだ。
父は若い頃、極貧の中で、人として平等に扱ってもらえず、とてもつらい思いをした。
だから、平等に扱ってもらいたい、と自分が思ったことを彼らにしているだけなんだ、と。
しかし、こういうことは言えると思う、と父は言いました。
人としての信頼と尊敬というものを従業員が感じてくれれば、
結局、経営が楽になる。
今の目標はこれこれなんだが、どうやったらできるか、みんなで考えてほしい、
と言うだけですべてが動き出す。
だから、3ヶ月どころか、本当は半年はかかると思われていたことが、
たった2週間で動き出したのだ。
そういうことが起きる。
「上海の奇跡」はこうして生まれた。
人にしたことは、必ず、自分に戻って来る。
『情けは人のためならず』
ということなんだ、と。
そしてこの「上海の奇跡」には後日談がある。
『上海の奇跡』後日談
父が日中合弁の会社を任されたのは、日本の本社が赤字で、その建て直しを図るためだった。
父は、それまでの日本の封建的な経営方針とは全く違った方向で、
1年で予想をはるかに上回る、すごい額の黒字にして見事に会社を立て直した。
しかし、そうなると、本社の中に父を妬む者が現れ始めた。
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