【第二話】『最初の宝物』〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜

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そして自分を信じる力を完全に失ってしまった。




僕に残されたモノ…



しかし、そんな僕にも僅かに残されたモノがあった。


それは、「友達」だった。


絶対に結婚すると思っていたため、

僕は友達に「9月に結婚するわ!」と話していた。


その中でも、5歳年上のはじさんと、1歳年上の健ちゃんは、特別だった。

彼らの奥さん達、子ども、僕の彼女を含め、家族ぐるみの付き合いだった。


つい3週間前に仙台に行ったのも、4月から転勤になった健ちゃん家に遊びいくためで、

そのとき、たまたまaikoのライブが仙台であったはじさんファミリーと合流し、

牛タンを一緒に食べた。



この2人には、プロポーズのタイミング、婚約指輪や結婚指輪、結婚式場、

住む家、家具や家電、生活費や人生設計など、

人生の先輩の彼らから、数え切れないことを教えてもらった。

律儀にも、同棲を開始したら、新居祝いをくれ、僕の結婚を祝福してくれていた。

僕は結婚をして、やっとこの2人の仲間入りが出来ると嬉しくて仕方がなかった。



しかし、僕の結婚は消えてなくなった。



僕は、自分の親よりも最初に彼らに連絡をした。




「結婚ダメになったわ…」




■はじさんと健ちゃんとの出逢い…



はじさんと、健ちゃんとの出逢いは、高校2年、16歳のとき。

僕は、バスケ部を辞め、1年の3学期の始めから、軽音部に入った。

その軽音部の一つ先輩だったのが健ちゃんだった。


※軽音部に入るまでのいきさつは…

【番外編】『僕が軽音部に入るまで…』へ。



僕は初め、健ちゃんが嫌いだった。


1年の初めの頃の球技大会で、一悶着あったからだ。


僕のクラスと健ちゃんのクラスは、バレーボールで対戦をした。

そのとき、僕のクラスの友達が、健ちゃんのクラスの人に暴言を吐いた。

それにキレたのが、健ちゃんだった。

明らかにこっちが悪いのだが、怒りを露にしてきた健ちゃんにムカついた。


軽音部に入り、顔を合わせることが少し気まずかったが、

健ちゃんの方から話しかけてきた。



健ちゃん
「俺、○○(暴言を吐いた友達)にムカついてるだけだから!」
「君のことは嫌ってないから!」



と言った。


僕は、


「よくもハッキリと直接こんなことが言えるな…。」


と思った。


変な人だと思った。

でも、悪い人ではなさそうだった。


それが健ちゃんとの出逢いだった。


それから、部活や、体育祭の応援団、恋の相談などを通して、

僕らは、親睦を深めて行った。



しかし、親睦を深められた一番の要因は、はじさんとの出逢いだ。



軽音部に入り3ヶ月、高2になった4月のこと、

長年軽音部を支えてきた顧問の先生の離任式があった。


僕はあまりよく知らなかったが、

この先生のおかげで、軽音部は自由な活動が出来ていた。


その先生のお別れ会を、現役生はもちろんのこと、

軽音部歴代のOB、OGの方々が集まり、恒例の焼き肉屋じゃんぼで行った。


焼き肉屋を出て、軽音部御一行は近くの公園にいた。


時間も遅くなり、解散することになった。


それぞれ帰路につくのだが、

車で来ている先輩達が、家の近くまで後輩達を送ってくれた。


帰りの方向が同じ人たちが集まり、


「○○方面乗っけてくよー!」


なんて言って、解散した。


そこで僕を車に乗っけてくれたのが、はじさんだった。


この時、僕と同じく、はじさんカーに乗せてもらったのが、

同級生の女の子と、当時健ちゃんと付き合っていた先輩だった。


当時21歳のはじさんは、16歳の僕にとって、もの凄く大人に見えた。


まだ4月の肌寒い時期にも関わらず、派手な花柄の薄いシャツを着て、

ルームランプがピンク色のやけにいやらしい車で、

タバコを吸いながら運転している姿は、とても遠い存在に思えた。


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