【第11話】『生きた証を残して』〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜
4日目…
僕に足りないモノ…
今日も天気の良い朝だ。
すでに恒例となったストレッチと足にテーピングを巻き、出発の準備を整えた。
天然温泉&サウナの効果なのか、昨日の足の痛みはほとんど無くなっていた。
「今日も歩ける!」
一日のすることと言ったら、
「ただ歩き続けること」
家に引きこもり、何もする事が無く、
ほぼ寝たきりだった生活を考えると、
たった一つだけでもやることがあるのは、
とても嬉しく、充実感でいっぱいだった。
少し前までは、いくら仕事をしていても、充実感なんてなかった。
それどころか、現状や将来への不安感が増すばかりだった。
「ただ歩く」
この行為は、1円も得ることはない。
むしろ出費がかさむ一方だ。
その歩いている時間に仕事という肩書きがあれば、
1日の生活費に十分な金額を稼ぐことが出来る。
しかし、この1円にもならない行為が、
お金を得ることよりも、とても嬉しく、充実感があり、
自分に必要なことだと感じた。
ほんの数ヶ月前、
病気になり、休職をし、婚約破棄になった。
生きてきた26年間の積み重ねが全て、
最悪の結果を生み出してしまったと思っていた。
しかし、これらのことが無ければ、僕は旅には出ていない。
お金よりも価値のある充実感を得ることは出来ていない。
仕事をして、お金もあり、大切な人と一緒に暮らしていた時とは打って変わって、
仕事も出来ない、お金も無い、独りぼっちの生活になった。
しかし、最高の環境だと思っていた時より、
最悪の事態になった今の方が、
一日の充実感や些細なことへの喜びを感じれるのだから、不思議なことだ。
神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないと言う。
中学の時、教室に貼ってあったカレンダーに書いてあった。
試練というのは、辛く、苦しく、忍耐を要するものだ。
なぜ、そう感じるかと言えば、
自分に解決する能力がまだ無いからだ。
僕は思う。
試練とは、
現時点の自分の能力を知るためであり、
その能力に落胆するためではない。
「下手くその上級者への道のりは
己が下手さを知りて一歩目」
と安西先生も言っている。
試練は、今の自分に足りない部分を知るためであり、
ステップアップするためには知ることが必要不可欠であり、
まずは知ることからが始まりだ。
今の僕に足りないものは何だ?
忍耐?
妥協?
我慢?
苦痛?
確かにこれらは僕には足りないかもしれない。
しかし、
忍耐強くなってどうする?
妥協してどうなる?
我慢して何になる?
苦痛を味わって何が出来る?
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