挫折を繰り返し、みんなからサルと呼ばれた女が、ダイエットの先生になりYouTuberになったストーリー

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高学歴か

キャラクターが目立つ人か


何かみんな魅力があった人



そういう人しかいない世界だった。



「バカな脳みそのないサル」はいなかった。


いたとしてもすぐにクビになっていた。


今の劇団四季がどうなのかは分からないが、

私がいた時代の劇団四季は

実力があってもクビになるスーパー集団「劇団四季」だった。



とにかく、1日がすさまじかった。



朝言われたことが

昼には変わり

昼に言われたことが

夕方には変わり

夕方に言われたことが

夜には変わっている



なんとも理不尽な不思議な世界だった。



そして、明日が我が身と思うくらいに、才能ある人がクビになってどんどん消えていく。

それでも

私みたいに夢を見て四季に入りたいと門を叩く人はいっぱいいるから

成り立っているのだと思った。



こんなに厳しい世界の中で、みんな命を削って舞台を作っているから、

素晴らしい作品になるのだと思った。


一瞬一瞬、一つ一つの舞台をガチでやらないと!

必死にやらないと!


だって手を抜いたら明日はないのだから…


研究生には入れても、

1年後に研究生を卒業して四季の舞台には立てずにクビになっている人がほとんどだった。



私は劇団四季の40期生だった。

この40期はものすごいラッキーな年だった。


劇団四季のボスが直々に週一で歌のレッスンをしてくれたのだ。

設立当初を除き、研究生全員がボスに一週間に1回指導されることなんてあり得なかったので、非常にラッキーな年に入団できたのだ。



しかも、

朝はクラシックバレエ、ジャズダンス、タップダンス、ペアダンスなど、

色々なダンスを学べて


現役の四季の主役が歌の先生だったり、芝居の先生でレッスンもついてくれた。

ものすごい恵まれた環境だった!


ミュージカルスクールは学校だから、当然レッスンにはすべてお金がかかっていたのに

日本トップのスーパー講師たちがしてくれる、スーパースペシャルなレッスンを無料で受けられたのだ。


なんというラッキー研究生40期➕サル


四季の研究生時代はミュージカルスクール以上に自分なりに必死でレッスンした。


東京に姉がいたので一緒に住んでいたが、

お家の玄関に入るたびに


「おね〜ちゃぁぁぁぁんT^T」


と泣きついていた。


できなくて!

くやしくて!

できる子がうらやましくて!


夜中12時にこっそり劇団にいき何回も歌の練習をしたりもした。




全力でレッスンして、力つきて

帰宅してもご飯が食べられず


お姉ちゃんがスプーンで、

ごはんを食べさせてくれたことも

しばしばあったくらいに

全力でやらないとついていけなかった。



研究所ではサルパワー全開で必死に食いつき



私は無事に研究所を卒業していろいろな舞台に立つことができた。



そして

ありがたいことに色々な作品に出させてもらった。



【Chisaが劇団四季の頃⬆︎】ライオンキング出演している時の写真



ここでは書けないが

舞台の裏ではいろんな辛い苦しいことがいっぱいあった。

人間不信にもなった。


私は四季にいた時はストレスで

5キロ太っていたし

肌はボロボロだ

ホルモンバランスが崩れていて生理不順だった。


私はここで

くじける

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