若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話
(いや、ひょっとするとタッチダウンや)
U先生は一人サイドラインでにんまりとした。
いよいよ、MからWkへのピッチのタイミングがきた。MはWkとすれ違いざまにボールをピッチした。神業と思えるほどタイミングは絶妙だった。誰もがこれで勝てると思った。
しかし、次の瞬間に悪夢が起こった。
何と、ピッチされたボールをWkが取り損ねてファンブルしたのだ。緊張して、手がこわばっていた。フットボールを始めて僅か1年の2年生には、荷が重かった。
「ワー」
観客席が大きくどよめいた。
転々と転がるボールは、まだどよめきが続く中、梅宮の選手が押さえ込んだ。攻守交替となり、その地点から梅宮高校の攻撃となってしまった。
その後は、気が動転している三木の僕らには、なすすべがなかった。続く梅宮の攻撃であっさりとタッチダウンを取られた。
無常にもレフェリーの笛が鳴り、負けが確定した。
32対21。
これで関西大会出場の夢は消えた。と、同時に3年生の引退が決まった。
全員その場に倒れこみ、しばらく動くことはなかった。
⒘あきらめた時に夢は終わる
この試合を最後に3年生は、引退することが決まっていた。
試合が終了して、関西学院大学の教室で着替えた後、ミーティングが開かれた。
重苦しい雰囲気の中で、誰も口を開かない。教室には着替えのために無造作に閉じられたカーテンの隙間から、僅かな光がさし込んでいた。その窓から細長くこぼれ出るような光に照らし出された教室が、僕にはいやに広く感じられた。
全員が揃うとU先生が静かに口を開いた。
「わしが悪かった。パントを蹴っておくべきやった。おまえらに責任はない。わしの判断ミスや、すまん」
U先生は僕らを前にして頭を下げて謝った。こんなことは初めてだった。目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
そのとき、後ろに座っていたWkが突然大声で泣き出した。
「泣くな・・・」
Yの怒鳴り声が静まりかえった教室に響き渡った。同じ地域から電車通学していることもあり、このWkをYは、弟のようにかわいがっていた。
試合の翌日、3年生が学校にやってきた。
3年生は、一旦これで引退する。昨日、U先生も交えて3年生全員で話あっていた。2年生以下を先に帰して3年生とU先生が関西学院大学の教室に残った。
そこで、U先生が僕らを前にしていった。
「ええか。夢は、あきらめたときに終わるんや。そやから、夢はあきらめるまでは絶対に終われへんのや」
「お前らには、関西大会出場という夢があったはずや。普通は、春の大会であきらめるわな。他の学校はみんなそう思うとる」
「そやけどな。秋の大会に3年生が出てもええんやで。受験勉強があるからというて、他の学校は出えへんけどな」
「お前らが夢をあきらめへんのやったら、わしはお前らを絶対に関西大会に出させたる。どうや。秋までやるか」
U先生がそういったとき
「俺らはやるは」
Yが立ち上がって、一番に答えた。
続いてみんなが、一斉に立ち上がった。
「先生、やるで、俺らを関西大会に連れていってくれ」
みんながせがむようにいった。
「わかった。夢は生きとる。死ぬ気でやれ」
U先生はじっと前を見つめて神妙な顔つきでいった。
3年生は夏休みの盆明けまで、一旦引退して、受験勉強に励む。盆明けからまた、練習を再開して秋のリーグ戦に出場する。もちろん、秋の関西大会出場が目的だ。
普通は、高校3年生は、夏休み前に部活を引退して受験勉強に専念する。僕らは、これを狙っていた。他の高校は、秋の大会には3年生は出場しない。だから3年生が出場すれば、勝てる確率が大幅に増えるという理屈だ。
その代わり、大学入試を犠牲にしなければならないが、僕らには、そんなことはどうでもよかった。
以後、三木高校では、この伝統が守られ3年生は秋の大会後に引退する。
3年生は8月まで一旦引退となった。
とはいっても急に受験勉強の態勢になれるわけもなく、僕らは皆、手持ち無沙汰であった。
授業が終わっても、すぐに家に帰るわけでもなく、教室に残って雑談をする日が続いていた。
18.努力の成果は突然現れる
そんなとき、U先生のところへ、フットボール連盟から一本の電話が入った。
「三木高校に兵庫県選抜チームに参加してもらうことになりました」
電話に出たU先生は自分の耳を疑った。
春の梅宮との善戦のおかげで、三木高校もユニットで兵庫県選抜として西宮ボウルの前座へ出場することが決まったのだ。通常は、2位までしか出場できない試合に出られることになった。芝の西宮球場で大勢のお客さんの前で試合ができる。しかもナイター。夢のような話に僕らはワクワクした。
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