若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話
「引退は、しばらく延期や。ええな」
僕は、すぐに3年生全員を集めて確認をとった。
もちろん反対する者は誰もいなかった。
6月21日西宮ボウル当日。
メインの試合は、大学生のオール関西対オール関東。
その前座が、高校生のオール兵庫対オール大阪だった。
16時。
僕たちは、球場内の更衣室で着替えた。野球のない日に競輪の窓口となっている部屋だ。たくさんの発券用の椅子が部屋の片隅に追いやられていた。
着替えが済んで、通用口から球場内に入るとすぐに緑の芝が眼に飛び込んできた。
「うあ、芝生のグランドや」
「照明も付いとる」
誰かが興奮していった。
見るもの全てが心地よかった。
いつもは野球のテレビ中継でしか見たことのない西宮球場に立っている。しかも観客としてではなく、主役として。テレビでみた光景の中に今、自分たちがいる。僕たちは何ともいえない感動を味わっていた。
まもなく、選手全員に集合がかけられ、全員芝生の上に並び体操が開始された。兵庫県選抜の三高から、夫々キャプテンが前に出て準備体操をした。僕は、がっしりとした体に似合わず、色白のぼっちゃん顔をした関西学院大学のキャプテンと並んでいた。
うそやろ、日本一の高校のキャプテンと一緒に並んで体操をしとる。
僕は大勢の観客の前で試合ができる初めての経験に、緊張するどころかワクワクしていた。
間もなく、場内アナウンスにより試合開始が告げられ、試合が始まった。
が、関西学院大学と梅宮のユニットが交互に出場するだけで、なかなか僕らの出番がまわってこない。
県3位だから仕方がないとは分かっていても、僕らは出たくて、出たくてしようがない。サイドラインで体が冷えないように小刻みに足を動かしながら、今か今かと出番を待っていた。
そうこうしているうちに、関西学院大学の先生が、U先生にいった。
「次の攻撃から三木のユニットで出てもらえますか」
やっとチャンスが来た。
それを聞いた僕らは
「よっしゃ」
と拳を握って意気込んだ。
相手は、大阪の川田高校中心のユニットだった。
ダラスカウボーイズのようなシルバーのユニフォーム。攻撃開始地点は、自陣の20ヤード付近から。
Mがコールした最初の攻撃は、Zへのギブだった。Zはボールをもらうと真っ直ぐに走り、約3ヤード進んだ。
次の攻撃。
Mは、タイトエンドのとんぼへのフックパスをコールした。
Mは、手の長いとんぼに合わせて高めのパスを投げた。
が、警戒をしていた川田のラインバッカーにボールをはたかれて失敗。いよいよ勝負のサードダウン。残り7ヤード。
自陣なので、外へのパスは投げられない。もし、守備の選手にインターセプトされれば、そのまま外側を走られてタッチダウンされる危険性があるからだ。
MはZへのギブフェイクのオプションをコールした。センターのSからスナップされたボールをMがZへフェイクすると、守備のラインは一斉にZ目がけて突進してきた。
そのすきにMは、Zからボールを抜き取り右へ走り出した。
守備エンドがGのカバーにまわったのを見て、Mはすぐにスクリメージを真っ直ぐに駆け上がった。しかし、すぐに内側から走りこんできたラインバッカーにタックルされた。3ヤードの前進に終わった。
フォースダウンで、残り4ヤード。僕らは、もう一度プレーをさせてほしいと願った。
しかし、サイドラインからはセオリーどおりパントの指示が出た。
もう少し攻撃したかったが仕方がない。
「パントや。方向は真っ直ぐ。ノーカウント、ブレイク」
僕はハドルでパントのプレーコールを出した。
続いて、ひとりセンターのSから12ヤード後方に下がった。
そしてそこで両手をパンパンとたたいた。両手をたたくのは、センターにボールを補給できる準備が整ったことを知らせるためだ。
しばらくして、Sが勢いよくボールを股の間からスナップバックした。
が、Sのスナップは少し短く、ボールは僕の目の前でバウンドした。すでに相手の選手は僕に向かって走り寄ってきていた。このとき、僕は不思議に落ち着いていた。
僕の頭には、自分が遠くまでパントを蹴っている姿が浮かんでいた。過去にも何度かこんな体験がある。僕は慌てることなく、バウンドしたボールを拾い上げ、相手選手につかまる寸前にうまく足の甲でヒットすることができた。僕には、この一連の動作がスローモーションのように見えていた。
次の瞬間、あたりは凍りついたように静まり返った。が、すぐにその静寂は大きなどよめきに変った。
パントを蹴る時には、足に当るまでボールを見ているため、僕はまだボールの行方を見ていなかった。しかし、どよめきは僕の耳にもはっきりと聞こえていた。
(何があったんや)
僕が目を上げてゆっくりとボールを追うと、自分が蹴ったボールが地上高くミサイルのように回転しながら飛んでいるところだった。
ボールはナイター照明に照らされて夜空にくっきりと浮かび上がっていた。観客席はそのボールの高さと飛距離に驚いて、どよめいていたのだ。
ボールは、70ヤードほど飛んで川田の選手に補給されたが、滞空時間があったため、その間に走りこんでいた、Yと親分がすぐにタックルして、ゲインはできなかった。敵陣5ヤードで大阪選抜に攻撃権を与えることができた。上出来だ。攻守交替で帰ってくる僕らを関西学院大学、梅宮の選手が拍手で迎えた。昨日の敵は今日の友。その拍手が僕らには嬉しかった。
そのときのことをYは、後で僕にいった。
「もう落ちてくるやろうと思って、いつもの調子で走っていたら、全然ボールが落ちてきいひん。上をみたら、ボールがまだ高く飛んどったのでビックリした。これは、絶対にタックルしてゴール前からの攻撃にしたろうと思った」と。
その晩は、みんなそろって電車で帰ったが、僕の頭の中は、たくさんのお客さんの前で試合ができたうれしさで一杯だった。僕らは誰も同じ気持ちだった。
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