若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話

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田舎の学校で試合をしていてはこんな経験はできるはずがない。

この夜、電車の乗り継ぎ駅である神戸高速鉄道の新開地駅で僕らはそばを食べた。時間が遅いせいか、店には他のお客さんはいなかった。

そう広くはないカウンターに、応援に来ていた下級生も含めて制服組が群がった。

慰労会の代わりだったが、おなかがすいている僕らには高速そばの少し濃い目のだしが妙に美味しく感じられた。

後でわかったことだが、先の梅宮高校との試合で親分は、肋骨が折れていた。にもかかわらず、そのことを隠しとおして西宮ボウルに出ていた。

本人もまさか、折れているとは思っていなかったようだが、相当痛かったに違いない。親分はそのことが後でばれたときに、

「おまえらとは、根性が違うんじゃ」

と、照れくさそうに、少し偉そうに答えた。

そしてその後、小さな声で独りごとをいった。

「骨折って痛かったんや。悪いことしたな・・・」

西宮ボウルも終わり、3年生は1回目の引退になった。

これから、8月までは、1年生と2年生で練習が続けられる。

U先生は、残った1年生と2年生をいつもの厳しさで鍛えながら、3年生の復帰を待つことになった。

 

 

19苦労した経験こそが生きる力になる

 

8月になり、僕たち3年生は練習に戻った。

もう、怠けて練習を休む者はいなかったが、関西大会出場、この目標を掲げての練習は言葉ではいい表せないほど厳しかった。

 なにしろ、日本体育大学と同じことを高校生にやらせるのだから僕らはたまったものじゃない。少しでも、気を抜いた練習をしていると、必ず最後に100ヤードダッシュが待っていた。

これが、恐ろしい。いつ終わるか分からないからだ。事前にダッシュの本数をいうと、その本数に応じて体力を温存する。

 だから、本数はいわない。U先生が、体力の限界だと判断するまではダッシュが延々と続く。

 

ある夏の日の練習で事件が起こった。

その日、空には雲ひとつなく、大きな太陽が地面を睨みつけるように容赦なく照りつけていた。おまけに、風もない。

U先生は練習に遅れてくることがよくあった。そのときには、いつも僕らは自分たちだけで練習を始めていた。

グランドに集まって練習時間がきても、U先生の姿が見えないと、僕らは内心喜んでいた。なんだか得をしたような気分になる。

いろいろと厳しい注文を付けられずに、自分たちだけでのびのびと練習ができるからだ。もっと正確にいえば、自分に甘く、多少手を抜いて練習をしていても誰も何もいわないからだ。

U先生は、セリカのリフトバックに乗っていた。オレンジ色をしたクーペタイプのスポーツカーで教師にはおよそ似合わない車だ。練習にはいつもこのセリカに乗って学校にやってきて、体育館前の駐車場に留めていた。

先生が練習に遅れてきたときに、先に練習を始めている僕らは、体育館に通じる砂利の坂道からザザッとタイヤが砂利を蹴散らす派手な音が聞こえてくると憂鬱になった。

もう来たか。

僕らはあきらめるのだ。

自分たちが、指導を頼んでおいて、先生が来ないことを願うとは何とも矛盾した話だが、これが人間の勝手というか、弱さである。

 

その日も、U先生は遅れてやってきて、何もいわずにしばらく練習を見ていた。

が、そのうちにプイッとその場を離れてしまった。隣で練習をしているソフトボール部のところへ行って、ノックをしだしたのだ。

僕はいやな予感がした。

先生は、それからはしばらくソフトボール部の指導をしていた。

そして、練習のメニューがほぼ終わりかけた頃、それまでぶすっとして黙っていたU先生がもどってきて突然、怒鳴り出した。

僕は、まずい、と思った。

「今日の練習はなんや。これぐらいの暑さでばてとって試合に勝てると思うとるんか」

「ダッシュや。ダッシュ」

U先生は不機嫌そうにそういうと、後は一言もいわない。

その後は、いつ終わるか分からない100ヤードダッシュが延々と続く。全員が一度に100ヤードを全力で走る。一瞬の休憩があるだけで、また走る。

夏の日中の練習は禁止されている学校もあったが、三木にはそんな制限はなかった。

一番暑い日中の2時ごろに練習をしている。気温は35度を超える。ホースで水をまいても瞬く間に水蒸気と化し、グランドを裸足で歩くと、足の裏を火傷して水脹れができるほど地面は熱い。その地面から熱気が体中に押し寄せてくる。

ばてるという理由で水を飲むことも厳禁だ。おまけに体には、ショルダーパッド、ヒップパッド、サイパッド、ニーパッドの防具を付け、頭にはヘルメットをかぶる。これで約5キロはある。

それに加えて、長袖のジャージ。

 これだけの装備をすると新人のころは、練習中にだんだんと頭が下がってくる。首がヘルメットの重さに耐え切れないからだ。

 そのうえヘルメットがなんとも臭い。真夏に、それも気温が35度はある日中に、ヘルメットをかぶるものだから、中は、蒸し風呂状態で汗だらだら。もちろん洗濯はできないので、これを繰り返すとかなり匂う。

おまけにヘルメットもジャージも汗でぬるぬるとしている。

フットボールの練習は、試合で見る華麗さからは想像できないほど泥臭い。

 こんな状態で練習をするものだから、少し怠けたろかと思ってもおかしくはない。

だが、U先生は決してそれを許さなかった。自分が納得するまで延々とダッシュが続けられる。100ヤードを走り終わるたびに

「オー、オッ、オッ、オッ、」

と全員で声を出す。

本数が増えるごとにその声がだんだんと小さくなってくる。

「声を出さんかい。終わらへんど」

僕は、みんなに怒鳴っていた。

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