ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。
彼らに共通するのは、常識を打ち破って自分の信念をつらぬく生き方だ。
なのに、大多数の日本人は自ら破天荒な物語の主人公のように生きようとはしない。
「安定した生活がしたいから、とりあえず公務員になりたい」
なんて言う高校生が多い世の中だ。
「人生、何が起こるかわからんで、おもしろいな」
今回の旅の途中、滋賀で出会って仲良くなった不良少年の言葉にぼくは感動した。
いろんな生き方があって、いろんな人がいるから、世の中おもしろい。
ぼくはそう思う。
☆
朝起きて、学校に行って机の前に座る。
夕方まで勉強する。
宿題をする。
高校3年生になると受験勉強にはげんで偏差値の高い大学を目指す。
大学に入ったら学生生活を満喫し、就活が始まると無精髭や伸ばした髪を切る。
出来るなら、資格をたくさんとっておいた方がいい。
いい大学に入れたら、就職活動は楽で大企業にも入りやすい。
大企業に入れたら、親孝行だし、両親もじいちゃんばあちゃんもみんな喜ぶ。
大企業だから、給料がたくさんある。
大企業だから、結婚もしやすい。
お金があるから、マイホームを建てることもできる。
お金があるから、幸せになれる?
「やりたいことをやりなさい」
「夢が大事」
とか先生や親は言ってるけど結局、人生を一本道に感じさせるようなこの空気は、暗黙の了解として子ども達の世界を覆っている。
このレールから外れると、将来がどうなってしまうかわからない。
人生の可能性が狭まってしまうかもしれない。
ホームレスか、死か。
冗談じゃなく、そんな結末もあるかもしれない。
「漠然とした不安」がひろがっている。
受検→いい学校→いい会社→いい結婚→リッチな暮らし→しあわせのステイタスってパターンがあるじゃない。
でもさ、いつか柴田ハル言ってたように、100人いれば100の顔があって、当然100の幸せがあるわけでしょ。
どうして日本人って他人と同じ価値観に怯えたように追われるのかね?
ージパング少年7巻(いわしげ孝)
☆
この「先がわかってしまう退屈さ」を打ち砕く生き方を自ら志願する同級生や同世代はいないのかとずっと思っていた。
マンガのヒーローや幕末の志士達のように破天荒に自分の生き様を貫き通して。
教室を見渡すと、授業中に眠っている生徒の多さ。
興味がない勉強をしているから毎日が眠いのだろう。
人生も居眠り運転してないか?
近頃は「眠い眠い病」が流行しているそうである。
さまざまの人たちが、この「停年までをわかってしまった」日常の中で、何をしてても同じようにしかならない生活の惰眠をむさぼっている。
つまり、人生いねむり運転をして、何となく「眠い」毎日をすごしているのである。
ー「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)より
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退屈だったら居眠りするだけじゃなく、そこから抜け出す方法を必死で考える。
自分の感性を信じて我が道を歩いて行く。
そんな人たちが、もう少しでも増えたら、日本はもっと面白い国になるんじゃないだろうか。
もっと日本の中学生や高校生は夢や希望を見れるんじゃないか。
今回の旅は、本当に行き当たりばったりだったけど、なんとかなった。
ものごとってみんなや自分が思っているよりも、けっこう何とかなるのかもしれない。
人間の可能性って本人が思ってるより、実はすごくたくさんあるのかもしれない。
そう信じて生きていたい。
ぼくは、日本の若者達にいろんな可能性があることを示し、人生に希望を感じさせるような、そんな存在になりたい。
「人生、何が起こるかわからんで、おもしろいな」
滋賀の不良少年の言葉は胸の奥でしだいに発光し、ぼくを揺さぶった。
本当に怖いのは、実は原爆でもお化けでもなくて「何も起こらない」ということなのではないだろうか。
「何も起こらない」時代、ロマンスの欠乏。
それはいわば、あす何が起こるかを知ってしまった人たちの絶望を意味している。
ー「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)
☆
いま、ぼくは見つけたかもしれない。
ずっと探してきた「激しく生きる」って、いったいどんなことなのか。
これからの人生を生きるために必要なのは「この感じ」だ。
このまま、自分の中の違和感や感覚を大事にしながら生きていこう…
☆
自主卒業へ
旅から帰ってきてすぐに、高校はもう必要ないと心の底ではわかっていた。
だけど、だからこそ、もう一度あえて高校生を満喫してみたいと思った。
人生でたった一度しか経験できない青春の季節。
梅雨の季節から2学期の終わりまで、ふたたび高校生活の日常にどっぷりと浸かった。
部活も楽しんだ。
修学旅行にも行った。
文化祭も盛り上がった。
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