ハイスクール・ドロップアウト・トラベリング 高校さぼって旅にでた。
目が覚めると、名古屋へ着いていた。
世界が一気に都会になった。
靴も足も服も体も、ぜんぶすっかり乾いている!
嬉しすぎる。
相変わらず腹ぺこで、デパ地下で試食をつまんで歩く。
空腹のなか、生まれて初めて食べたういろうがとんでもなく美味しかった。
駅の近くのご飯屋さんで昼ご飯を食べ、こうなったら一気に高速バスで東京まで行ってしまおうと思い立つ。
東京まで4000円くらい。
高速バスっていう、安くて便利なものが世の中にあったんだと感動する。
名古屋からまたバスで、眠っている間に一気に東京へ。
☆
着いたのは夜。
大都会、東京のでかさに驚く。
このまま一気に群馬の山田かまち美術館をめざすことにする。
夜ご飯も食べず、ローカル線に乗り込む。
行けるとは思ってなかった旅の最終目的地の最寄り駅に、あとちょっとで到着できる。
昨夜から今日まで、ずっと夢のなかのようだ。
夢心地でまた眠りについた。
☆
真夜中。
目が覚めたら電車は新潟を走っていた。
新潟って、日本海側だよな?
信じられない。
乗り過ごし過ぎた。
あわてて次の駅で飛び降りて、帰宅寸前だった駅員さんに尋ねる。
戻り方向の列車が次に来るのは翌朝始発とのこと。
寒い駅のホームでひたすらたたずむ。
ベンチは寒いし硬くて、眠れない。
一睡もせずに朝まで始発を待つ。
別にどうってことない。
きのうは滋賀で、びしょ濡れの格好で足から血を流して途方に暮れてたんだから。
人生、山あり谷ありだ。
☆
旅、5日目
夜明けとともに始発列車に乗り込み、群馬へリターン。
とうとう高崎駅に到着。
徒歩30分くらいでかまち美術館へ行けるらしいが、道を間違えまくって3時間以上歩く。
もう目的地は目の前も同然だし、回り道くらい余裕だと思っていたが、さすがに歩き疲れた。
女の人に道を尋ねると、その女性の弟さんが車で美術館の近くまで乗せてくれることに。
乗車させて頂くときに気がついたけど、弟さんは足がなく、手ですべて運転操作のできる特殊な車だった。
☆
こうして、ついに最終目的地、山田かまち水彩デッサン美術館にたどりつけた。
行き当たりばったりで本当に来れてしまった。
☆
山田かまちとの邂逅
子どもの頃から本がとても好きだった。
小学校低学年の頃は、ファンタジー的なわくわく楽しい世界にぼくを連れていってくれる小説が好きだった。
高学年になると、芥川龍之介や教科書に載っているような文学作家、大人のエッセイ本などにも手を出すようになった。
いま思えば、いかに自分なりに生きていくか。
どのような考え方をしたらいいのか。
大人になり世の中をわたって行くためのヒントを求めて。
手当たり次第に本を読んでいたのだと思う。
太宰治の人間失格に共感したり、宮沢賢治の生き方を尊敬したり。
三浦綾子の塩狩峠で泣いたり、意味を否定する中原中也のダダイズムの詩にロック的な格好良さを感じたり。
ゲーテの若きウェルテルの悩みに痺れたり。
本の中で出会う、さまざまな人たちの密度の濃い、真剣勝負な生き様は、ぼくのまわりの現実のなまぬるい学校生活、充実感のないぼんやり過ぎ去って行く日常とは対照的だった。
ぼくも自殺するくらい真剣に人生と向き合って生きたいと思っていた。
あのころ心に響く出来事は、現実世界よりも本の中の方が圧倒的に多かった。
本を読むことは現実から逃げることであり、同時に、退屈な現実から抜け出すヒントを探し求める行為でもあった。
☆
山田かまちは、そんな風に本にどっぷりと浸かっていた14歳のときに出会った。
17歳のときにエレキギターの練習中に感電死した少年。
死後、ベッドの下から大量の絵や詩が発見された。
13歳から17歳のあいだに山田かまちがひたすらたくさん描いた絵や詩や日記が収められた1冊の本。
「17歳のポケット」
感じなくちゃならない。
やらなくちゃならない。
美しがらなくちゃならない。
ー山田かまち
絵や詩、日記から溢れ出すように伝わってくる彼の感情、鼓動、振動。
中学3年生。
ぼくも初恋、進路の悩みの真っただ中。
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