【最終話】『僕の宝物』〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜
この話は、またいつか機会があったらお話ししたいと思う。
話を戻そう。
こんなことがあって、僕は誰にも頼ることが出来なかった。
誰にも頼ってはいけないと思っていた。
いや、違う。
迷惑を掛けるのが嫌で、頼らなかったんだ。
心配させ、困らせるのが嫌で、頼らなかったんだ。
いつだって、「頼っていい」と言われていた。
いつだって居場所は用意されていた。
そこに行かなかったのは、どんな理由でもなく、
僕自身の意思だった。
この旅で、たくさんの人に助けられてきた。
自分から話しかければ、必ず良くしてくれた。
何もしなくても、手を差し伸べてくれた。
その時は、いつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
助けてくれて申し訳ない…。
なんて気持ちではなく、
助けてくれて本当にありがとう!
という気持ちでいっぱいだった。
そして、その助けが無ければ、
今僕は、この場所に立っていない。
きっと途中で諦めていただろう。
もしかすると、本当に死んでいたかもしれない。
人は独りでは生きていけない。
そのことを思い知った。
そしてどんな時も、手を差し伸べてくれる人は必ずいる。
僕は身をもって体験した。
人を頼るのは、悪いことじゃない。
人に助けを求めるのは、間違ったことじゃない。
「頼ってもいい。」
そこで生まれる新しい出逢いがあり、
新しい感情がある。
そして、新しい未来がある。
うつ病は「甘え病」「構って病」とよく言われる。
確かにそういった部分もあるかもしれない。
でも、ずっと甘えたかったんだ。
ずっと構ってほしかったんだ。
存在を認めて欲しかったんだ。
僕はきっとそう思っていた。
しかし、これらはすべて、自分自身の問題。
本当はいつだって居場所は用意されている。
必要なのは、
甘えることでも、
構ってもらうことでも、
認めてもらうことでもなく、
自分自身を許してあげること。
自分自身を認めてあげること。
過去に何があろうが、自分はここに居てもいい。
ピンチの時は、手を差し伸べてくれる人がいる。
自分から求めなくても、必ず手を差し伸べてくれる人はいる。
それに、いつだって、助けられているんだ。
家族にだって、友達にだって、
数え切れないほど多くの人に、
多くのモノに支えられている。
ただそれに気が付いていないだけ。
当たり前になってしまっているだけ。
どんな状況、どんな状態であっても、
「生きている」
という時点で、支えられているんだ。
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