若者はこう生きろ。ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で全国大会に出た話
「ガメラ飛び」とは、昔、大映の怪獣映画「ガメラ」で正義の味方のカメの大型怪獣ガメラが手足を甲羅に引っ込めて空中を飛ぶときに、横に回転しながら飛んだ姿に似ているからだ。
フットボールはうまく投げると、右手で投げた場合は進行方向に向かって右回転をしながらミサイルのように遠くまで飛んでいく。しかし、最初はうまく投げることができずに、ボールが横に回転してガメラ飛びになってしまう。
フットボールを始めた者が最初に興味を持ち、練習するのはこのボール投げである。例に漏れず、僕とMも自分達の教室でこれを始めてしまった。
ボールにあるレースに中指を掛けて、手のひらとボールの間に少し隙間が開くようにして軽く握る。投げるときには、後ろに引いた手をボールが耳の斜め上を通過するように前に押し出す。
そして、手がボールを離れる瞬間に手首を内側に捻ってボールに回転を与える。野球のシュートボールを投げる要領に似ているが、中指が最後までレースに掛かっているように投げるのがコツだ。
同じクラスの二人は体育館に行くのが面倒くさいのと、少しでもボールを触りたいという二つの理由から、短い業間の休み時間にまで、教室でボールを投げ始めたのだ。
まわりの者は休憩時間を邪魔され、おまけに頭の上をボールが休む間もなく飛びまわるのだから、さぞ迷惑だったに違いない。新しいことを初めようとしている二人に免じて許してくれたのだろう。文句もいわずに珍しそうに眺めていた。
Mが投げているボールは、表面がワックスでツルツルし、焦げ茶色に光っていた。
これは、U先生が、神戸にある大学のアメリカンフットボール部から、勝手に拝借してきたものだった。
U先生は、今はソフトボール部顧問だが、学生時代に肩を壊して野球を断念し、日本体育大学でアメリカンフットボールをやるようになった。そして選手当時のポジションはタックルだった。
タックルとは、最前列に横に並ぶラインマンと呼ばれる者のなかで、真ん中のセンター、その隣のガードに続くポジションである。
U先生は、三木高校に赴任する前に神戸の大学でアメリカンフットボール部を指導していたことがあった。その縁で大学からボールを3個拝借してきたのだ。
以来、素人集団は、このボールを使って練習することになる。僕たちには、このボールが宝物のように思え、ボールをさわれるだけでいつもワクワクしていた。ボールに塗られたワックスの匂いを嗅ぐと、カレッジフットボールの選手になったような気分になった。
僕らはボールが手に入ったので、放課後になると、グランドの隅でパスとハンドオフの練習を始めた。
グランドではサッカー部がフルコートで練習をしていたが、グランドの南西の角に休憩用の木のベンチを設け、上部を藤で覆った藤棚があった。そしてその前に10メートル四方の空間があった。その空間の南側には、階段が設けられ、グランドより一段低いテニスコートへと続いていた。僕らはその狭い空間を勝手に使わせてもらうことにした。
クォーターバック役のMとKが交代で、ボールを投げる。他の者はクォーターバックから8ヤード離れて、縦に並び順番に前へ走ってパスを受けていく。ラインやバックスの区別はなく全員がパスを受ける。
僕らは、この練習を楽しんでやっていた。パスを受けるというのは、もって生まれたセンスにかなり影響されるようで、最初から上手な者と下手な者の差は大きかった。
下手な者は必ずといってよいほど、ボールを受けるときに手に力を入れて前に差し出してしまう。その結果ボールがはじかれる。
これに対して、上手な者はボールを受ける瞬間にクッションのように手のひらを少し引く。
誰に教わることもなく、自然にこの差がでるのは、やはり持って生まれた運動センスの良さだ。
また、ハンドオフの練習もした。センターのSから、股ごしにスナップを受けたMやKが、横に走りながら後ろから走ってくるランニングバックのZやGにボールを渡す練習だ。
ランニングバックは、少し前かがみの姿勢で胸の前に.肘を曲げた片手を地面と並行に置き、もう一方の手を同じように腹の前に置いて、いわゆるボールをはさみ込むポケットを作って走る。クォーターバックは、そのポケットにボールを相手の腹に押しつけるようにして渡す。
慣れないうちは、ランニングバックがボールを先に奪い取ろうとするために、かえってうまくいかない。
うまくハンドオフをするコツは、ボールがお腹に当るまでボールを取りにいこうとしないことだ。
「ブン、ボールを取りにいったらあかんちゅうたら」
U先生は、練習中執拗にこのことを、ZやGに要求していた。
6.欲しいものは、自分で働いて手に入れる
ボールは揃ったが、これ以上本格的にフットボールの練習をするには、防具が必要であった。
防具どころか、U先生が、ボールと一緒に拝借してきた使いかけのワックスも、とうとう無くなってしまった。
「先生、ボールのワックスが無くなってしもうた。どないするん」
ある日、練習が終わったあと、心配性のZが、先生を追いかけた。
「そうか。ついに無くなったか。もう無いわ」
U先生は、全く気にも留めていないような返事をした。
「ええ・・・。どないするん」
「唾でも付けて擦っとけ。昔は皆そうしとった」
先生は、いとも間単にそういった。
そこで、僕らは以後練習が終わると、ボールに唾を付けて指で擦った。
いわれたとおりにやってみると、唾で濡れたボールは指に擦られた所から、ボロボロと古い皮が垢のように取れた。
そして、その下から新しい皮が出てきた。
「はよ、ちゃんとしたワックスほしいな」
Zがボールを擦りながらつぶやいた。
「ワックスより、早よ防具揃えような」
それを聞いた僕がZの肩を軽くたたいた。
そして、みんなに呼びかけた。
「防具を揃えへんか」
呼びかけにみんなが集まってきた。
防具一式を揃えると五万円はかかった。そしてこの防具を取り扱っている店も大阪に2つしかなかった。正式な部ではなく同好会扱いなので、学校からは一切補助金が出ない。
そこで、防具を揃えるのにどうしたものか、僕らは考え込んだ。
「五万円かあ。うちのおかん、けちやからな。五万円も出してくれるわけがないわ」
「うちもそうや。そんなお金がかかるんやったら、クラブ止めときっていうに決まっとる。この靴かて、破れとるところをテープで貼っとるんやで」
「う~ん・・・」
「どないしょう」
「やっぱり、バイトするしかないな」
「そやな、それしかないな」
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