【第17話】『奇跡のおばちゃん』〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜
カッコ悪い。
目が覚めた気がした。
僕は、
「死」
を勘違いしていた。
死ぬことが、価値のあることだと思っていたのだ。
ロックスター達が若くして死ぬように、
崇高で、カッコいいことだと勘違いをしていた。
僕も死んだら、伝説になるんじゃないか!?って。
死ぬことに憧れすら抱いていた。
本当にバカだった。
死ぬとは、終わるということだ。
志半ばで終わるということ。
結局、達成出来ない。
ゴールへ辿り着いていない。
失敗に終わるということだ。
テレビのニュースなどでは、
何かを達成したことよりも、
途中で死んでしまったことの方が大きく取り上げ、
「スゴいことをした!」とか、
「スゴい人だった!」とか、言われてるけど、
本当にスゴいのは、それを無事に成し遂げた人だ。
ゴールに辿り着いた人だ。
本当にカッコいいのは、挑戦し、死んだ人ではなく、
挑戦し、生き抜いた人だ。
僕はカッコいいことをする!
カッコいいことをすれば、カッコよくなれるから。
いつだってそう生きてきた。
ここで死んだら、ダサい。
極めてダサい。
僕の美学に反する行為だ。
「めっちゃ怖かったけど、こんな道歩いたんだぜ!」
って笑って話したい。
生きて帰って、そう話したい。
僕は恐怖を押し込み、また前に進もうと決めた。
絶対に成し遂げてやろうと決めた。
そうと決まれば、歩いた証拠を残さなければ。
僕はケータイのムービーを回した。
真っ暗の中、
「今、◯◯洞門ってのが、◯個目なんですけど…」
と解説付きでムービーを撮った。
2テイク撮った。笑
小さな画面でムービーを撮りながら歩くと、
平衡感覚を失い、倒れてしまいそうだったので、
もっとちゃんと撮りたかったが、命を優先した。
この時、洞門は30個以上通過した。
何km歩いたのか分からない。
あと何km続くのかも分からない。
ほぼノンストップで歩き続けて来た。
足も限界だ…。
でも、絶対に後少しで糸魚川市街に出られるはずだ。
止まるわけにはいかない。
そう思いながら、ただひたすらに前に進んだ。
洞門は本当に地獄だった。
完全に歩道の無いもの、
地面が濡れているもの、
段差のアップダウンがあるもの、
工事中なのか、単管パイプが張り巡らされ、
その狭い隙間を這うようにしか通れないもの、
その全ては真っ暗闇で、
常に「死」と隣り合わせだった。
完全に人の通る道ではなかった。
著者の坂内 秀洋さんに人生相談を申込む
著者の坂内 秀洋さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます