陸の孤島の小さなクレープ屋さんの物語
週末の大きなイベントになると、お店を閉めてスタッフ総出でイベントに出向く。
お店で営業するより、イベント出店の方が売上がとれる場合があるからだ。
当然、その日お店に来店したお客様はお店が開いてない事にがっかりする。
イベントは天候に等に左右されるし、いつもあるわけではない。
それにショッピングセンターの催事は競合が多数あり思った程は売上がとれず赤字になることもあった。
時間をかけて、手間暇かけて、人件費をかけて、イベントに出店して赤字を出すという何をやってるのかわからない時もあった。
そんな事を続けていると徐々にお店の売上が下がり始めたのである。
●鬱病寸前の精神状態
売上をあげるために労働時間を増やし、朝から晩まで働いて、手元にはちっともお金が残らない「貧乏暇なし状態」が続くと心身ともに疲れ果て、「売上を上げたい!」というモチベーションも下がってくる。
そして、オーナーである僕の負のオーラはアルバイトにも伝わりお店の雰囲気は悪くなり、イライラするので家族に不平不満を言うようになる。
何で俺だけがこんなに苦労しないといけないんだ!!
いつまでこんな生活が続くんだ!!
このままじゃ将来が見えない。。。。etc
いつしか僕は自分に力が無い事を棚に上げて、周りの環境や人のせいにして当り散らし、この現状を親父とお袋のせいにして毎晩文句を言いまくるという最悪の精神状態に陥ってしまっていたのだ。
そして、とうとうお袋の口から
「あなたがそんなに苦しいなら辞めてもいいんだよ。自分の好きなように人生を生きなさい。あとはお母さんとお父さんで頑張るから、苦労かけてごめんね。。。」という言葉を出させてしまったのである。。。。
親父とお袋を幸せにしたい一心で頑張ってきたのに、俺は何をやってるんだ。。。今まで自分を育ててきてくれた両親にちっとも恩返しができないじゃないか。
自分の力のなさが悔しくて悔しくて堪らなかった。
【現状をなんとかしなければならない、でもどうしたら良いのかわからない】
僕は手当たり次第に経営書や自己啓発本を読み漁さり、各種団体が主催するセミナーに出まくり、少しでも商売に繋がればと地元の団体に所属したり、地域のお祭りの実行委員になったり、ボランティア活動をしたりととにかく行動をした。
本やセミナーで教えてもらった売上を上げるテクニックを実践してみたら、一時的には売上は上がるが、それ以上に経費がかかり、結果として利益は減る。
その頃には毎月10万あった給料も無くなり、携帯料金の支払いも滞り、付き合いで飲みに出る金もない、遊ぶ金もない、欲しいものを買う金もない、だからア○ムやアイ○ルやプロ○スといった複数の「消費者金融」で金を借りるという状態で気づいたら「消費者金融」からの借金は500万円以上に膨らんでいたのだ。
『結局、また餃子屋の時の親父とお袋と同じ状況に陥ってしまったのである。』
僕は鬱病寸前の精神状態に陥り、死んだら楽になれるんじゃないかとまで思い始めていた。
しかし、そんな時に僕は人生を変える奇跡的な出会いをするのである。
<第2章 ここまで>
<第3章>
■どうやったら売上が上がるかわからない。
この頃の僕は、経営書や自己啓発本を読んだり、各種団体が主催する経営セミナーや自己啓発セミナーを片っ端から受講したりして、もがきにもがいていた。
僕はお店の売上を上げようと、本やセミナーで学んだ事をお店の経営に取り入れ、あの手この手を打ってはみたものの、経費がかかるだけで、売上はほとんど上がらず、利益は減っていき、心身ともに疲れ果て、朝から晩まで働いてもちっとも手元に金が残らず、金が無いから家族には黙って「消費者金融」に手を出し、その借金を返そうと必死になってまたあの手この手で売ろうとして経費をかけ利益を減らす、そしてまた金が無いから「消費者金融」で借金を作るという。「地獄のスパイラル」へと落ちて行ったのだ。
■金は無いけど、見栄はある。
当時、辛かった事はお店が繁盛しているから僕自身が「お金を持ってる」と周囲の人に思われていた事だ。
チヤホヤされていい気になり、飲み屋では全て自分が払い、彼女には高価な物を買い、貧乏だと思われたくないので、いかにも羽振りが良いように振る舞っていた。
先に書いた通り、金なんて全然持っていなかったのだが、くだらない見栄を張り、どんどん自分の首を絞めて行った。
「消費者金融」の貸付残高が30万円残っていると、まるで自分の金であるかのように錯覚し、「あと30万自由に使える」と思うまでになっていた。
そして、とうとう気づいた時には「消費者金融」からの借金は500万円を超えていた。
年利20%近い返済が重くのしかかり、もうこれ以上「消費者金融」も金を貸してくれないので、恥を忍んで銀行に勤めている友人に相談したが、そんな状態では金は貸せないと言う。当たり前だ。クレジットカードは遠の昔に止められて、もう落ちるとこまで落ちたのだった。
「もう死にたい」
僕はいつ死んでも大丈夫なように準備を始めた。
自分が死んだら6000万円出る死亡保障のついた生命保険に加入した。
これで僕が死んでも残った家族はとりあえずはお金に困らない。
自殺ではお金は支払われないから、何とか上手く事故に巻き込まれないだろうかと考えたり、ちゃんと保険金の支払われる苦しまない楽な死に方をネットで調べたりした。
極限まで追い込まれたことのない方は、どうしようもない馬鹿丸出しな奴だと思うことだろう、僕も今考えればあの頃の自分がなんてアホで無知な奴だと思う。でもこればかりは当事者にならないとわからないと思う。それ程追いつめられると冷静な判断も常識的な思考もできなくなるのである。
そんなどん底の時に出会った、ある経営コンサルタントが僕の人生を180°変えていくことになる。
■酒と女とギャンブルが大好きな年収3億円の経営コンサルタント「井崎貴富」
僕が初めて井崎先生に会ったのは2011年4月、ちょうどお店がオープンして5年目に入った頃、知り合いの社長に先生を紹介された。
先生の第一印象はどう見てもヤクザで、話しかけづらく、近寄りがたい雰囲気を醸し出しており、変なこと言ったら殴られるんじゃないかとビビるほど強面だった。
しかし、話してみると、この先生、口は悪いが、気さくで面白くて、とても優しい人だった。(ただ、酒と女とギャンブル好きだが。。。)
先生の周りには常に経営者や起業を志す学生達が集り、経営に関する教えを乞い、自社やお店の悩みを相談したり、考えたビジネスプランを判定してもらったり、時には人生や恋愛の相談をしたりと、とにかく先生は大人気だった。
それもそのはず、先生にアドバイスを受けて上場した企業は何社もあり、銀行返済が出来なかった年商1億の会社が黒字に転換し今では年商30億になっていたり、たった1店舗で1日2万円の売上でヒーヒー言っていたパン屋が今では全国展開し1日600万円を売上る程に成長した等々、成功事例は数知れず、実は凄い人だったのだ!!
今まで出会った経営コンサルタントとは全然格が違った。
井崎先生ならうちの店をなんとかしてくれるかもしれない。
僕はその日から先生の元で経営と人生について学び始めたのである。
先生は月に1回福岡から宮崎に1泊2日でやって来ては、宮崎の経営者に経営について教えたり、経営の相談を受けてアドバイスをしたりして帰る。
僕はお店の現状を1日でも早く改善させたかったので、先生のコンサルを受けたかったのだが、先生のコンサルをまともに受けようとすると1時間10万円のコンサルフィーを支払わなければならない。当然ながらそんな金、逆立ちしても用意できない。
そこで僕は先生に、宮崎に来た時は宮崎空港~宿泊先のホテルの間を送迎させてもらえないかと頼み込み、先生の了承を得て送迎をさせてもらえる事になった。
これで僕はガソリン代だけで片道25分、往復50分間の送迎にかこつけた「無料コンサル」を受ける事に成功したのだ。
先生のコンサルは通常1時間10万円なので、送迎の時間合計50分に換算すると8万3333円分のコンサルを無料で受けている事になる。
僕は先生と1秒でも長く話して沢山の知識を吸収したかったので、車の速度は制限速度を超えないようにゆっくり運転してなるべく時間を稼いだ。
そうしてホテルまでの道中あれこれ経営に関する質問や悩みを相談してアドバイスを受けたり、時には先生の人生論を聞かせてもらう事もあった。
僕は先生との会話は必ずボイスレコーダーに録音し、また来月先生が宮崎に来るまで何度も何度も繰り返し聞いて復習した。そして学んだ事を少しずつお店の経営に落とし込み、実践しては次の送迎の時に現在の取り組みや結果や問題点などを報告し、少しずつお店を改善、改革していったのである。
著者の山本 顕太郎さんに人生相談を申込む